実録系からヤクザBLまで……相手を脅すのに舎弟をボコる! 実録と小説の間にあるヤクザ文学

――エンタメ小説が隆盛を極めた戦後から、その奥底で人気を集めてきた任侠小説。それ以降も文学のトレンドの移り変わりにかかわらず、常に裏社会/ヤクザは小説のテーマになってきた。本稿では、対談を通してその歴史を紐解きつつ、作品紹介と共にヤクザ文学とは何か? を考察していく。

海猫沢めろん氏。

──本稿のテーマは「ヤクザ文学」。ここでは、自身もホストなどの仕事を介して裏社会を垣間見てきた小説家の海猫沢めろん氏と、ヤンキー文化へのフィールドワークを行なっているライターの磯部涼氏に、ヤクザをテーマにした小説をご紹介してもらうわけですが、まず、このジャンルならではの特徴について伺えますか?

磯部涼(以下、磯部) 映画でおなじみの『仁義なき戦い』も元はヤクザの獄中手記だし、『極道の妻たち』も家田荘子のルポルタージュが原作です。あるいは、『塀の中の懲りない面々』(新風舎)の安部譲二も元ヤクザという体験型でした。つまりフィクションとノンフィクションの線引きが難しいのが、このジャンルの特徴であり、面白いところだと思います。

海猫沢めろん(以下、めろん) 小説でもヤクザ関係の人が体験を元に書いたものと、そうじゃない人が創作で書いたものと2つありますね。ただ、裏社会を描いた作品の作者って、基本的にはグレーな領域にいる/いた人が多いんですよね。

磯部 『歌舞伎町案内人』(角川文庫)でも書いてるけど、日本人ヤクザや中国人マフィアなどの歌舞伎町を取り仕切る勢力の狭間で動いていた李小牧とかね。直木賞作家の浅田次郎も『プリズンホテル』(集英社文庫)シリーズでヤクザをテーマに小説を書いていますが、おじいちゃんがヤクザなんですよね。

めろん 資料も少ないし、裏社会での経験や接点がまったくないところで書くのが難しいジャンルなのかもしれない。でも、今やおおっぴらに暴力団関係者を名乗ると逮捕されちゃうご時世ですからね。背中に唐獅子牡丹の刺青でドンパチするみたいな、かつての東映映画における任侠もののイメージもすっかり過去のものになった。

磯部 1992年の「暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律」(暴対法)施行以降は、特にそうですね。

めろん ヤクザが仕事をしづらくなり、半グレが台頭するのにともなって、ヤクザ小説はすでに時代小説に準ずるものになっていると思うんです。50歳以上のロマンチシズムを慰撫する、古きよき時代の物語というか。

磯部 ぼくも、ヤクザ小説には2つ系譜があると思います。ひとつは、古きよきヤクザを完全にフィクションとして描くもの。もうひとつは、フィクション/ノンフィクション問わず、今の時代のヤクザ的な存在をリアルに描くもの。馳星周の『不夜城』【1】なんかはまさに後者の代表ですよね。あの作品がチャイニーズマフィア全盛だった当時の歌舞伎町を描いたことで、その後から裏社会小説の主題として外国人マフィアや半グレを描くことが主流になっていった。現代では、裏社会を描こうとすると、ヤクザよりそっちをテーマにしたほうが日常に近いリアリティを感じられるわけです。そして、それと比例するように、福澤徹三の『すじぼり』【2】のように、ヤクザの事務所が立ちいかなくなって……というタイプの物語が増えた。こちらも非常に現代的ですよね。

──例えば、磯部さんのフィールドでもあるヤンキー的なものとの共通点はいかがでしょうか?

めろん かつてならヤンキーの子たちはヤクザに憧れを持っていましたよね、アウトローの象徴として。

磯部 でも、チーマーや半グレの出現以降、ヤクザのほうから不良たちにすり寄っていき、オレオレ詐欺みたいな子どもが考え出したDIYシノギから上がりをかすめ取っていくような流れが現実にも出てきた。例えば、ヒキタクニオの『凶気の桜』【3】は、ヤクザがもともとの稼業だけでは立ちいかなくなって右翼団体を装い、チーマー世代の子どもたちにシノギをアウトソーシングしていく話です。そんな状況にあっては、ヤクザが憧れの存在ではなくなるのもやむを得ません。今は「ヤクザ文学の不可能性の時代」なのかもしれない。

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