安藤美姫、古閑美保、田中理恵……"美人"が通用しなくなるテレビの世界で、「美人アスリート」は何をすべきか?

――女性向けメディアを中心に活躍するエッセイスト・高山真が、サイゾーの特集記事を斬る。男とは、女とは、そしてメディアとは? 超刺激的カルチャー論。

サイゾー 2015年10月号 

 サイゾー10月号の『美人アスリートの「第二の人生」胸算用』を読んでみてつくづく思ったのは、「男と女の見方はこうも違い、こうも同じである」ということでした。現役アスリートであれ元アスリートであれ、ほとんどの女たちはアスリートが「美人である」ことに、重きを置いていません。美人アスリートを「美人である」という理由で好きになる一般人の女はまずいない。アスリート以上にキレイさを問題にされそうな女子アナ界ですら、「美人である」という理由で女子アナを好きになる一般人女性はほぼいないのですから。

 しかし、逆もまた真なり。「イケメン○○」という形容詞で世に出てくる男たちも多くなったとはいえ、その男たちを「顔」で評価する一般人の男たちがほとんどいないのと、ある意味では同じであるといえるでしょう。

 芸能界やテレビの世界で、男と女の一番の違いといえば、「同性に向けて『美』を発信する仕事」が確立されているのは女の世界だけ、ということ。サイゾーにも「美人アスリートは、テレビでは女優やモデルあたりと美人度を競うことになる」と書いてありました。イベントごとで予算を動かすのはだいたいオヤジなので、「スポーツ系のイベントにも美人が必要だよな」というオヤジ目線から「美人アスリート」に仕事が行くのは容易に想像がつきます。しかしテレビの世界を視聴率という数字で評価しているのは一般人です。それも現在では女性視聴者のほうが多いのでは、というのが、「スポンサーについている企業がどんな商品を売りたくてCMを流しているか」をざっと見渡したうえでの、あたくしの実感です。

 ただでさえ芸能界なんて供給過剰ぎみなので、「長くいようと思えば思うほど、先々苦しくなる」のは、木っ端コラムニストのあたくしが言うまでもないことです。アスリートから芸能界に転身した女たち、それも、今回サイゾーで取り上げられた美人アスリートの方で、「松野明美のような生き残り方をしたい」と思っている人は間違いなく皆無でしょう。そして、芸能やプロスポーツの世界では、女たちは遅かれ早かれ必ず、異性よりも同性の支持を欲しがるものです。だとすれば、結局必要になるのは、「顔以外の何か」という至極当たり前のものになります。アスリートならわかるはず、「基本」を持っている人間が一番強いのよ。

「顔以外の何か」とは、何か。美人女優や美人モデルが何をどう努力しても手に入らないものは、何か。それは、自分がやってきたスポーツを語ることに関して、女優やモデルよりはもちろん、他の選手たちよりも頭ひとつ、2つ抜きん出ていること。結局は「基本中の基本」に立ち返るのです。

『マツコ&有吉の怒り新党』や『マツコの知らない世界』で、元マラソン選手にして現解説者の増田明美がフィーチャーされたり、いまだに柔道の解説といえば山口香、体操の解説といえば加納弥生(現・笹田弥生)の右に出る人間がいなかったり……。3人に共通するのは、圧倒的な滑舌のよさ。そして、「異常なほどの取材量に裏打ちされた解説」が「ネタ」としても優秀であることが認知されてきた増田明美はともかく、山口香や笹田弥生の解説は、「そのスポーツを第一線でやってきた人間だけが見える、技の精度や美しさ、選手たちの駆け引きやメンタルのありよう」が、そのスポーツをやったことがない人間にもわかるような言葉になっている。試合中にそれを見抜く眼力と、それを即座に言葉にする聡明さこそが、威厳につながるのです。多くの一般人に、「そりゃ、かなわないよ」と思わせる何か。それこそが、「顔」以上に同性を引きつけるものです。それも、かなりの長期間にわたって。ただし、身につけるのが実はもっとも難しい要素ではありますが。

 別に田中理恵に対して個人的なネガティブ感情など一切ありません(というか、そもそも好き嫌いを論じるほどの思い入れがないのです)が、体操の世界体操選手権の中継番組において、「笑顔を大切に」とか「選手一丸となって」とか「思い切ってやれたと思います」とか、本当にこのスポーツをやっていたのかという程度のコメントしかできないことを、まずは誰よりも本人が危機感をもってほしいと切に願っていたりします。

 安藤美姫にせよ古閑美保にせよ、私生活の切り売りをしながらも、しかし肝心のところはボカしにかかる往生際の悪さは、結局はソンをするだけ。「何もかもぶっちゃけるのが当たり前」「それで嫌われたところで、悪名は無名に勝る」の勢いで仕事をしている人間が佃煮にするくらいいる芸能界。彼らの露悪ぶりに一般人がどれだけ眉をひそめようが、それがバラエティの「基本」になってしまっているのが現状です(この「ねじれ」こそが大きな問題ではありますが)。現在、「肝心なところをボカしにかかる芸能人」といえば、まず誰もが思いつくのは矢口真里ですが、矢口はすでに「嫌われてナンボ」という点ではハラをくくっています。あそこまでの「ヨゴレ」になる覚悟を、矢口と同じ「種目」で勝負しようとしている安藤美姫や古閑美保は持てるのでしょうか。

 実力・成績でノシてきた女たちが、「注目」「人気」という極めてあやふやなもので勝負にかかる難しさは理解できます。そのあやふやな「注目」「人気」と対峙することに関しては、元一流スポーツ選手だって基本から始めなくてはいけない。スポーツ選手が「一日にして成らず」であるように、タレントも一日にして成らずなのです。

高山真(たかやままこと)
エッセイスト。著書に『愛は毒か 毒が愛か』(講談社)など。来年初旬に新刊発売予定。

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