【ジャーナリスト・猪瀬直樹】日本で憲法改正はできない―- 政治家が口を閉ざす日米関係の正体

――日本の近代化の歴史を長年独自の目線で読み解いてきたジャーナリスト・猪瀬直樹氏は、著作の中で憲法成立過程にも言及してきた。マッカーサーらGHQは、果たしてどのように日本国憲法の成立に介入していたのか? 「押し付け」議論の根幹にあるすれ違いの要因を聞いた。

『戦争・天皇・国家 近代化150年を問いなおす』(角川新書)

──猪瀬さんは『東條英機 処刑の日』(文春文庫)でマッカーサーらによる日本国憲法制定の過程を克明に描き、田原総一朗さんとの共著『戦争・天皇・国家 近代化150年を問いなおす』(角川新書)では成立過程を含めた日本の近現代を論じておられます。そこで、日本国憲法がどのような成立過程を経ているのか、あらためてお伺いしたいと思います。

猪瀬 (日本国憲法制定における)アメリカの目的は日本の武装解除だったわけです。それと、その後の占領統治。連合国軍最高司令官のマッカーサーは、そのために天皇を残しておかないといけないと考えていた。一方、当時の外相だった吉田茂をはじめとする日本人は明治憲法の天皇大権を維持したいと考えていた。

──日本側の憲法草案(松本試案)には、天皇大権がそのまま残っていました。

猪瀬 当時の日本人の考えでは、それ以上のことを思いつかなかったんだね。それに、吉田茂ら日本人は世界情勢に対する認識が薄かった。戦争に負けたことの認識そのものが薄かったともいえる。松本試案でいけると思っていたわけだから。でも、それじゃ天皇は救えないよ、という認識がマッカーサーにあった。その後はこの本(『東條英機 処刑の日』)に書いてある通り、マッカーサーは来日してからすぐに天皇を残すために裏工作を行って、その結果が天皇との有名なツーショット写真だった。

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2024.11.22 UP DATE

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