【社会学者・橋爪大三郎×宗教学者・島薗進】現代社会に通底する宗教が持つ普遍性の意義

――人類は、なぜ衝突し合うのか――。IS(イスラム国)をめぐる諸問題はいまだ解決の糸口が見えず、世界各国では、宗教をめぐる多くの対立が激化しているかのように見える。「現代日本と宗教の関係」というテーマで議論してきた当連載は、今回で最終回を迎えたが、混迷を極める現代社会において、日本人はどのようにこれらの問題を考えるべきなのだろうか?

【第一回「現代日本と宗教の関係」はこちら】
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(写真/江森康之)

 6回に分けてお送りしてきた、社会学者・橋爪大三郎と宗教学者・島薗進の対談も、今回で最終回を迎える。「人類の衝突」の根源に迫ろうとしたこの対談シリーズ。それは、異なる文化・民族・宗教を持つ者が敵視し合うこの時代において、いかに人類が互いに理解し合えるかを模索する旅でもあった。日本を代表する学者2人の対論は、「違いを認めることからでしか、対話は始まらない」ことを明らかにする。それこそが、混迷の21世紀を生きる我々の最も基本的な指針なのかもしれない。

橋爪 宗教は広い意味でいえば、情報処理のシステムです。神やイエス・キリスト、ムハンマドやコーランがどう重要であるかといった情報処理のステップや優先順位を、ある範囲の人々が共通の中に頭に組み込むということなのです。そうすると、さもなければ処理せざるを得なかったそれ以外の複雑なステップを、始めから取らなくていいことになる。情報処理のエネルギーが大幅に節約されて、レディメイド(既製品)の結論を、自分の結論にできる。

 これは一種の、防衛反応です。

 世界は複雑すぎ、情報にあふれています。もしも個人が単独で情報処理して、何が正しいのかを考えるのだとすると、あまりにも大変です。だからこのような情報処理の方法が必要になるのです。

 アメリカにおける福音派(エヴァンジェリカル)も、これと似た側面があります。福音派のリーダーみたいな役割の牧師や説教師たちは、情報処理に長けた人々で、複雑な世界に対して単純な図式や見方を提供します。それを信頼して同じように考えれば、情報処理の手間が節約できるようになっている。前提から結論が、素早く導きだせます。これは政治の場でも使える。特定の観点から候補者として望ましいのが誰かがすぐ判断できるから、ごちゃごちゃしないのです。

 キリスト教は普通、マルクス主義に反対します。ということは、1950~60年代にアメリカが核武装や世界戦略を支える国民的合意を形成するにあたっては、アメリカのキリスト教会の役割は非常に大きなものがあったということになるでしょう。マルクス主義や社会主義にあまり抵抗感がないのは、キリスト教系の教会では、ユニテリアンやクエーカーぐらいかもしれない。

島薗 現在、世界的には共産主義者というものが敵としての実在感を持たなくなっていると思います。代わりに世俗主義者──それはほとんど唯物主義者と同じですが──を仮想敵に捉える傾向があるのではないでしょうか。

 進化論に対抗して、知性ある何かが生命を創造したとするインテリジェント・デザイン論を通そうとするというのは、あるタイプの福音派の重要なアジェンダですね。彼らにとって、唯物論、あるいは世俗主義に基づく教育とは違う教育をすることは、大きな目標になっています。

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