――神戸・酒鬼薔薇事件の少年Aが出版した手記『絶歌』【1】が世間を揺るがしている。週刊誌では毎週糾弾記事が掲載され、ネットでも非難する声は高い。しかし振り返ってみれば、過去にも少年Aより多くの人間を殺した殺人者による手記はたびたび刊行されている。こうした手記を読み解きながら、“殺人者の文学”の系譜をたどる。
(写真/江森康之)
6月11日の発売以来、神戸連続児童殺傷事件の元少年Aによる手記『絶歌』が波紋を呼んでいる。この原稿を書いている7月1日現在までアマゾンベストセラーランキングでは1位を独占、トーハンベストセラーランキングでも1位か2位につけている。発売1週間で初版の10万部に続いて5万部の重版が決定。だが一方で、出版の是非を問う議論も後を絶たない。
まず反発の声を上げたのは、当然のことながら被害者遺族である。被害者の1人、土師淳くんの父・守さんは「今、あらためて事件の内容を多くの人に伝える必要がどこにあるのか」と怒りをあらわにし、出版元の太田出版に回収を求める抗議文を送った。こうした声を受け、関東を中心に展開する書店チェーン・啓文堂は全38店で販売の自粛を決定。これに賛同する声は多く、インターネット調査会社が行ったアンケートでは、78・4%が「出版すべきではない」という回答を示している。
対応を迫られているのは書店だけではない。日本図書館協会は6月29日、『絶歌』は「貸し出しなどの提供を制限するケースには当たらない」との見解を発表したが、被害者遺族の地元である神戸市の久元喜造市長は、「遺族に配慮されず出版され、遺族が精神的苦痛を受けたことは大変遺憾。地元自治体として寄り添う姿勢が必要」と市立図書館では購入しない方針を明らかにした。
有識者の見解も真っ二つに割れている。教育評論家の“尾木ママ”こと尾木直樹がブログで『加害者本人が書いた本は読めない』と題して、「サカキバラの残忍な行為を認めてしまうことにつながる怖さを感じるからだと思います」と批判する一方、精神科医の齋藤環は「文学的な印象を残す表現が多いですが、象徴的表現をたくさん使うのは健全化の証拠なんです。再犯を抑止する意義はあると思います」(2015年6月30日付朝日新聞)と出版に肯定的な意見を示した。『絶歌』の中で元少年Aにとっての幼少期の「破滅的で厭世的なヒーロー」として言及されている松本人志は、この問題を『ワイドナショー』(フジテレビ)で取り上げ、「被害者のお父さんがここまで言うなら」と前置きした上で、「僕は読まない。『読まない』ということしかできない」と見解を述べた。
優先されるべきは犯罪被害者救済か、それとも表現の自由か。
しかし、その問いを投げかける前に、前提として確認しておかなければならないことがあるように思われる。それは過去、この国では元少年A以外にも数多くの凶悪殺人犯が自らの事件を手記によって「告白」してきていることだ。贖罪意識もなく、そして遺族の了解も得ることなく。
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