「花は都合のいい女」細田守が作り上げた童貞文化系男子の欲望的ヒロインに、リアル乙女から非難轟々!?『おおかみこどもの雨と雪』

――サブカルを中心に社会問題までを幅広く分析するライター・稲田豊史が、映画、小説、マンガ、アニメなどフィクションをテキストに、超絶難解な乙女心を分析。

『おおかみこどもの雨と雪』

今回は、2人の子どもを持つ母親が、田舎でその子を育てる……という細田守監督による・アニメ『おおかみこどもの雨と雪』をピックアップ! ※本文中にはネタバレがあります。

「ポスト・ジブリブランド確立の立役者」「ポスト宮崎駿を名乗るべき国民的アニメ作家」との呼び声も高い細田守監督の最新作『バケモノの子』が、7月11日に公開された。今回は、同監督のひとつ前の作品『おおかみこどもの雨と雪』(2012年公開)について考えてみたい。40億円以上の興行収入を記録した大ヒット作である。

 ファミリー向けアニメにしてはなかなか斬新なストーリーだ。19歳の女子大生・花(はな)は「おおかみおとこ」と出会い、雪(ゆき)という女の子と、雨(あめ)という男の子を出産する。しかし夫である「おおかみおとこ」は花たちを残して死亡。残された花は、ときおり狼に変身してしまう二人の育児に奮闘しつつ、やがて街での生活に限界を感じて田舎の古民家に引っ越す――。

 このプロットだけを読むと、完全に母子家庭の育児奮闘記だ。が、本作はオクテな文化系男子にとっての「心の栄養剤」の側面も持ちあわせている。その効能を一手に担っているのが、ヒロインの花だ。

 花の「文化系男子ホイホイ」ぶりは凄まじい。服装は超地味、化粧っ気がなく、小柄で痩せぎすのつるぺた。地方出身の、素朴で真面目な女子大生といった趣だ。内気な童貞野郎……もとい文化系男子が大キライな“ギャル”“イベントサークル”“女子会”といった属性とは一切無縁。無難、人畜無害、品行方正で、眩しいほどに清く正しい。

 その花の声をあてているのが宮﨑あおいなのは、実にクリティカルだ。宮﨑は文化系男子界隈のミューズとして蒼井優と肩を並べる10年選手。日本を代表するナチュラル系少女の権化、と呼んで差し支えない。

 宮﨑がCMキャラクターを務めるファッションブランド「アースミュージック&エコロジー(以下、アース)」は、そんな宮﨑のナチュラル系少女イメージを強固に裏打ちしている。

 同ブランドの特徴は、自然体なガーリーテイスト。……といえば聞こえはいいが、要はオタク・サブカル寄りの文化系男子が大好物のマイルドな少女趣味が全開のブランド。隠し味程度のオーガニックテイストや、どの服にも共通するほんのり土を混ぜたような色合い(これは完全に筆者の主観)は、「内気なチェリーボーイが精神的に攻めこまれない安心感」に満ちている。愛されたいオーラを全面に出したゆるふわ系の女子臭いあざとさや、露出度高めなパリピ系ファッションに帯びるフェロモンの圧迫感は皆無なのだ。

 まさにエコロジー。地球にだけでなく童貞……もといピュアな文化系青少年たちにも優しい仕様なのである。ちなみにアースは昨年、アニメ『ラブライブ!』ともコラボしており、そっち方面のオタククラスタに対する目配せも抜かりがない。さすがである。

 花のキャラクター造形も、ほぼアースを踏襲している。アースのCMの如く、映画の中で宮﨑が発するすべてのセリフのあとに「アース、ミュージックアンドエコロジー」と付け加えてもまったく違和感がない。品があって少し子どもっぽく、それでいて落ち着き払った母性感あふれる宮﨑の声は、文化系男子たちにとって理想中の理想。少女性と母性のいいとこ取りだ。現実の女性のように、突然機嫌が悪くなって早口で責め立てたり、半ベソでヒステリーを起こしたりなど、絶対にしない。俺たちの花ちゃんはそんなことしない!

 花の「文化系男子ホイホイ」たる実力は、容姿や声だけにとどまらない。花には大学に友人がいない。いる描写がないのだ。さらに、出産や育児や引っ越しという一大ライフイベントが劇中で目白押しにもかかわらず、頼るべき親や親戚も一切出てこない。

 これは、文化系男子のなかでも、リア充的なコミュ力や社会性に難ありの内向的なオタククラスタにとって、大変都合がいい状況である。花のような女が彼女なら、面倒な「社会との接続」に巻き込まれることがないからだ。彼女の友達が主催するBBQに連れて行かれて初対面の女友達に愛想を強要されることも、意識高い系の彼女の男友達にやきもきすることも、親に紹介されて将来設計を詰問されることもない。狭い世界の中に生き、自分だけを見てくれている花ちゃんを、ただ愛でていればいい。セカイ系的な極楽がここにある。

 しかも花は、のちに旦那となる男が実は狼男だということを知った夜、彼と初夜を迎える。つまり花は、男の「公には隠したい本当の“醜い”姿」を知っても“引かない”女として描かれているのだ。

 男にとって、自分の醜さを無遠慮にさらけ出しても許されるばかりか、「そんな貴方とセックスしたい」とまで(態度で)言わしめる女、花ちゃん。最高である。なんという(コミュ力の低い文化系男子にとって)都合のいい女であろうか。

 夫を亡くして田舎暮らしになってからも、花が体現する理想の「俺の嫁」像は崩れない。花は自分に色目を使いそうな同世代の男性がいない場所に身を置き、ストイックに育児と農業に精を出し、枯れた年配層の男性から娘のように可愛がられる。まるで朝ドラのヒロインのように。

 さらに、花は二児の母にもかかわらず少女のような瑞々しい容姿をキープしているが、再婚なんぞ一切頭にない。数年をともにしただけの亡夫に操を立てて、一生添い遂げようとする決意満々だ。これは童貞……もとい文化系男子にとって究極のドリームではあるまいか。

 ここまで読んで「この連載は“超絶難解な乙女心を分析”するって冒頭に書いてあるけど、違うじゃん」と疑問に思われた方は、その通りである。花は、女性でも母親でもない細田守監督が作り上げた文化系男子向けの心の栄養剤であって、「現実の乙女心」を体現してはいないからだ。

 そこで、公開当時に筆者の周囲で聞かれた、現実の女性たちによる本作への拒否反応をいくつか拾ってみよう。

・「産むかどうかの葛藤」が描かれていないのは納得が行かない。友人にも親にも相談しないなんて信じられない。

・友達や親や共同体の助けなしで出産や子育てなんて、ありえない。出産や子育ての大変さを全然わかってない。

・学生の分際で無計画に子供を作って、保育園に行かせられないとか田舎に引っ越すとか、親の自分勝手としか思えない。

・「どんなに辛いときもかわいい笑顔を絶やさず弱音を吐かない。母親は強く完璧であるべし」という主張が、いかにも男性の抱く勝手な願望という感じ。

・花は子供を育てるだけの人生なの? だとすると悲しすぎる。

 これこそが「現実の乙女心」だ。あなたが男で、友人女性や彼女や妻の考える母親というものについての考え方を知りたいなら、この映画を観てもらうのが一番てっとり早い。つまり『おおかみこどもの雨と雪』から炙りだされる「乙女心」は、作中に描かれているのではなく、それを観た現実の女性の口からリアクションとして発されるものなのだ。

 ちなみに、「こじらせ女子」命名者としても知られるライターの雨宮まみ氏は本作について、トークライブでこんな発言をしている。

「花はいつもださいピンクのパーカーを着ているんですけど、もうそれだけでどんなキャラにしたいかよくわかる。堅実で服も買わず流行に見向きもしない真面目な女のコ……。あのパーカー見た瞬間から1ミリも共感できなくなりました」(「真夏の夜のワイドショー講座」2012年8月3日開催)

 花ちゃん最高とか、都合のいい女とか、「俺の嫁」とか、ゲスいこと言って本当にすいませんでした。全文化系男子を代表してお詫びします。

稲田豊史(いなだ・とよし)
編集者/ライター。キネマ旬報社でDVD業界誌編集長、書籍編集者を経て2013年にフリーランス。『セーラームーン世代の社会論』(単著)、『ヤンキーマンガガイドブック』(企画・編集)、『ヤンキー経済 消費の主役・新保守層の正体』(構成/原田曜平・著)、評論誌『PLANETS』『あまちゃんメモリーズ』(共同編集)。その他の編集担当書籍は、『団地団 ~ベランダから見渡す映画論~』(大山顕、佐藤大、速水健朗・著)、『成熟という檻「魔法少女まどか☆マギカ」論』(山川賢一・ 著)、『全方位型お笑いマガジン「コメ旬」』など。「サイゾー」「アニメビジエンス」などで執筆中。映画、藤子・F・不二雄、90年代文化、女子論が得意。http://inadatoyoshi.com

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