デビューから四半世紀を迎えた歌姫 マライア・キャリー  栄光と苦悩の軌跡

――人気アーティストの“ベスト盤”に特化し、独自の見解でわかりやすく、かつ鋭角に切り込んでいく当“不定期連載”。記念すべき初回は、永遠の歌姫をピックアップ。

デビュー間もない頃のマライア・キャリー。千堂あきほを彷彿とさせるソバージュが時代感を演出するが、やはりキュートで健康的である。

 1990年、ソニー傘下のコロムビア・レコードから〈7オクターブの歌姫〉というキャッチコピーでデビューを飾り、02年にユニバーサル傘下のアイランド/デフ・ジャムに電撃移籍、そして約15年ぶりに古巣ソニー(レーベルはエピック・レコード)への復帰を機に、全米ナンバーワン・ヒット17曲を集めたベストアルバム『#1 To Infinity』をリリースするマライア・キャリー。本稿では彼女の音楽性と人物像、デビュー25周年を迎えるまでの栄光と苦悩を垣間見ながら進めていきたい。

 そもそも彼女は黒人とのハーフで幼少期にひどい人種差別を受けたことから、デビュー当初から肌の色やルックスに非常に気を遣うアーティストだった。しかし、7オクターブの声域に加え、チャーミングで健康的な体つきは、女性にとって憧れの対象となり、男性にとっては魅力的な女性に映る。そんな愛らしさからか、彼女の悩みが表立つことはなかった。マライアは、その美貌と歌声だけで十二分に勝負できる実力の持ち主だったわけだが、97年頃から次第に肌の色を隠さず、徐々に露出も増やして、さらには胸の谷間を強調し、自分の肉体をアピールするようになる。その理由は、最初の夫で、当時米ソニー・ミュージックエンタテインメントの社長、トミー・モトーラとの離婚(98年)が大きな要因といわれている。

 93年にモトーラと結婚したマライアだったが、そもそも彼女のアーティストとしてのクリエイティブコントロールを握っていたのがモトーラだった。90年代中期、アメリカのヒットチャートはR&Bやヒップホップの楽曲が席巻。徐々に自分の肌の色に執着しなくなったマライアは、幼い頃から慣れ親しんできたブラックミュージックへのシフトを思い描いた。しかし、その意向とは異なり、白人層に向けたポップスを歌わせることが、モトーラの思惑であった。それが2人の間に大きな溝を作った。離婚後、マライアは「私生活も仕事もすべて束縛され、とても息苦しかった。何度も誰かに誘拐されたいと思った」と述べており、一方、長年だんまりを決め込んでいたモトーラは、「僕が君をコントロールしているように感じていたのなら、謝罪する。ただ、成功させたいことに過剰にこだわってしまうのは仕方ないことだ」と、一昨年上梓した自身の自叙伝において歯切れの悪い謝罪文をしたためている。

 離婚の前年となる97年から別居していた2人だったが、その開放感からか、同年にリリースされたアルバム『Butterfly』は、モトーラの執拗な束縛からの解放宣言と言えるほど、まさに蝶のように華麗に舞う作品となった。以降、ベスト盤にも収録されているシングル「Honey」(97年)や、「Heartbreaker」(99年)などからもうかがえるように、彼女は積極的にヒップホップ・アーティストと共演を果たし、これまで秘めてきた悩みも包み隠さず解放することを決めたのだった(ちなみに95年に発表したウータン・クランのメンバーである故ODBとの共演曲「Fantasy (Bad Boy Fantasy feat. ODB)」が、マライアがモトーラに反抗した初の試みか)。

 そして、過度の露出で生まれ変わったマライアに待ち受けていたのは、これまでの“キュートで健康的な歌姫”との激しいギャップで生じた世間からの大きなひんしゅくだった。その結果か、01年の初主演映画『グリッター きらめきの向こうに』は不評に終わり、そのサウンドトラックで、実質上8枚目のアルバムとなった『Glitter』の売り上げも低調で、キャリア史上のどん底を味わうことになる。しかし、そこからの復活と、路線修正の成果は、かなり意外な形で現れることになる。

路線変更で歌姫が見出した熟女×人妻の絶対的魅力

新曲「Infinity」のミュージックビデオでマーメイドドレスを着こなすマライア。なんだかんだ言って、“美魔女”である。

 02年、ラッパーのエミネムが「俺の嫁になりたいの? 誰それマライア?」と自身の曲「Superman」でマライアとの交際をほのめかした。これに対しマライアは「私たちが恋人同士? 触れ合ってもいないのに」と否定。それに腹を立てたエミネムは、その後何度もマライアとの関係性を曲に盛り込み、09年には彼女の再婚相手となったラッパー兼俳優のニック・キャノンに「あの売女と幸せにな」とディス。その粘着ぶりに、38歳を迎えた新妻マライアも「私とセックスしたなんて嘘、なぜそこまでこだわるの?」と反撃に出た。その後、2人の諍いが明るみに出ることはなかったが、彼女はエミネムをも虜にする“イイ女”であったことが公となったのであった。

 キャリアのどん底にあった彼女が、エミネムとの諍いを通じて手に入れたものは、“性的対象としての熟女感”であった。また、モトーラとの結婚時には表出しなかった“人妻”としての魅力も加味されることになる。一昨年に公開された映画『大統領の執事の涙』では、女優として夫と子どもの目の前で奴隷主に強姦される奴隷役という、トラウマ描写を見事に演じたマライア。この配役も、監督が“今”のマライアの魅力、需要をしっかりと理解していたからに違いない。

 ベスト盤に話を戻そう。今作に唯一の新曲として収録された「Infinity」のPVが先頃公開となった。45歳を迎えたマライアは、胸とお尻が強調されたドレスを身にまとい、情感たっぷりに歌い上げている。デビュー当初の面影を残しつつも、「写真と実物が違いすぎる」と揶揄され、画像修正疑惑もたびたび指摘されるが、彼女にとってはどこ吹く風だ。画面に映し出された、少々ふくよかで肉感的な体は、デビュー25周年でたどり着いた、ありのままの彼女の姿であり、今のマライアの真実なのだ。

(文/小林雅明)

マライア・キャリー
1970年、アメリカ生まれ。全米ナンバーワン・シングルを18曲保持し、その記録はビートルズの20曲に次いで歴代2位。これまでにリリースしたアルバムの総売上枚数は2億枚を突破している。


『#1 To Infinity』
(ソニー・ミュージック)
2,376円(税込)6月24日発売


これまでにリリースしたアルバムの日本国内総売上枚数は1500万枚を超えた……だと!?クリスマスの定番曲で日本で最も知られた歌姫

読者諸氏に最もなじみが深いであろう「恋人たちのクリスマス」時代のかわいさ絶頂マライア。

 マライア・キャリーが日本で大々的にその名を知らしめることになったきっかけは、間違いなく「恋人たちのクリスマス」に他ならないだろう。1994年にリリースされたその楽曲は、山口智子主演のドラマ『29歳のクリスマス』(フジテレビ)の主題歌として起用され、国内だけでおよそ150万枚近い売り上げを記録。山口智子に加え、松下由樹と柳葉敏郎がメインキャストを務め、仕事と恋と友情が入り乱れるという、バブル景気の名残惜しさ満点のトレンディドラマにおいて、マライアの楽曲は効果的に使用された。主題歌としてオープニングで流れる以外、劇中ではオルゴール演奏(よくある演出)がメインだが、最終回エンディング間際に山口智子が「ちゃんこでも食べに行くか!」と問いかけ、「ごっつぁんです!」と応える松下由樹とのやりとりにおいて、スムーズに挿入される「恋人たちのクリスマス」は、多くの視聴者の記憶に深く刻み込まれているだろう。その後、国内におけるマライアのイメージは「クリスマスソングの人」がひとり歩きすることになるが、その影響は甚大で、前年に発表したアルバム『Music Box』(220万枚)、翌年の『Daydream』(240万枚)の売り上げに大きく貢献し、98年にリリースされた初のベストアルバム『#1’s』に至っては、約360万枚のヒットを記録することになった(すべて国内の売り上げ)。日本における彼女の人気はお茶の間へも波及し、00年にはネスカフェのCMで明石家さんまと共演、マライアのイメージは「クリスマスのド定番ソングを持ったトップスター」へと変化を遂げたのだ。

 一方、本国アメリカにおける「恋人たちのクリスマス」の評価も高く、これまでにシャナイア・トゥエインやジョン・メイヤーなどそうそうたるメンツがカバー曲を発表。11年にはマライア自身がジャスティン・ビーバーと共にセルフカバーに挑み、話題となった。ホイットニー・ヒューストン、セリーヌ・ディオン、ビヨンセ……日本でも広く知られ、歴史に名を刻む歌姫は数多く存在するが、やはりマライア・キャリーは別格と言わざるを得ないのだ。

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