――数々の芸能スクープをモノにしてきた芸能評論家・二田一比古が、芸能ゴシップの“今昔物語”を語り尽くす!
『家づくり七軒とことん奮戦記』(講談社)
うつみ宮土理の記者会見が話題となった。
夫・愛川欽也さん(享年80)が亡くなってから約一ヵ月たったが、依然として憔悴は続いているのか、頬はこけ、目はくぼみ、痩せ細っていた。それでも気丈に会見の席に着いたが、会見内容は想定外だった。誰もが知りたい最期の様子を、「悲しすぎて。そんな質問は酷です」。また遺体と一緒にいたときの様子も、「亡くなっているんですよ。悲しさを知らないから聞けるのでしょう」と語気を強めた。
在宅治療を選択した理由についての質問にも「愛川は家が好きでした。病院に行けば治るんですか」と逆に質問者を問い詰めた。亡くなった後の取材としては当たり前の質問にもかかわらず、うつみは怒っているようにも見えた。ただ、一貫して強調していたのが、「オシドリ夫婦」ぶり。その極めつけの言葉がある。
“私と結婚してくれてありがとう。私はキンキンといられればいい。一番愛した人は心の中に住んでいます”
不倫の末に結ばれた2人だった。愛川さんは前妻と離婚するやいなやその翌日にうつみとの結婚を発表。不倫関係だったことを隠すのが当たり前なのに、奪略愛の事実を主張するかのようだった。昭和スターの豪快さが伝わる。
「スターで女に不自由した人はいない。毎晩でも女を替えることができるほどモテた。ただの遊びのつもりでも、なかには本当に惚れてしまうケースもあり、その時に責任をとって結婚する。その結果として、前妻とは離婚。その代償として前妻にはすべての財産を渡す。そんな遊び方だから、誰も文句をつける人はいない。“スター”とはこうあるべきでした。愛川さんも先輩諸兄を見ていて、自然に身についた生き方だったのだと思います」(映画関係者)
愛川の愛人と言われている劇団キンキン塾所属の女優・任漢香に対しても、マンションを買ってあげたと言われている。慰謝料や養育費の支払いにも汲々としている最近の芸能人とは遊びのスケールが違う。
夫婦で経営する劇場と劇団に所属しているので「うつみが彼女の存在を知らないはずはない」という。それでも2人には「オシドリ夫婦」という看板がある。
誰が付けたか「オシドリ夫婦」。
これまでにもオシドリ夫婦と呼ばれた人は少なくないが、自ら宣言した人はいない。あくまでもメディア側が勝手につけたもの。テレビ関係者によれば、「夫婦で芸能活動をしていて、夫婦で公の場にも出てきて、仲のよさそうな人を自然に“オシドリ夫婦”と呼ぶようになる。この呼び名をつけられて悪い気はしないし、逆に有効利用すれば、夫婦で番組に出演もできるし、CMの仕事が舞い込んでくる。」そうだ。
ただ、本当に仲がいいかというと疑問符のつく夫婦もいる。「本当にオシドリ夫婦と呼べるのは、奥さんが芸能界にから引退して今もきちんと家庭を守っている三浦友和・山口百恵さん夫妻のような人だと思います。でも、レッテルを貼っても百恵さんが公の場に出てくるわけではないので、業界的には面白味がない」(芸能関係者)という。
高橋ジョージ・三船美佳夫婦も「オシドリ夫婦」として売り出し、番組共演をきっかけに三船はタレントとして一本立ちした。それが今では離婚裁判中である。結局、オシドリとつけられた時点では確かに仲が良かったが、月日がたつうちに仲が悪化した。結婚当初、「一生添い遂げます」と誓いながら離婚することと同じである。とはいえ、自ら「オシドリ夫婦ではありません」と改めることもできない。
結局、仲の悪さを悟られないようにオシドリ夫婦を演じるしかなくなっている。メディア側もオシドリ夫婦に離婚危機があっただけで「オシドリ夫婦と呼ばれた2人になにがあったのか」とドラマチックに報じることができ、より世間の関心を引くことができる。
うつみも愛人の存在がクローズアップされるなか、世間にも愛人に対しても、夫婦の絆の強さをアピールしていたのだろうか?
「本当は仲の悪いオシドリ夫婦」という言い方もあながち冗談ではなくなっている。
ふただ・かずひこ
芸能ジャーナリスト。テレビなどでコメンテーターとして活躍するかたわら、安室奈美恵の母親が娘・奈美恵の生い立ちを綴った「約束」(扶桑社刊)、赤塚不二夫氏の単行本の出版プロデュースなども手がける。青山学院大学法学部卒業後、男性週刊誌を経て、女性誌「微笑」(祥伝社/廃刊)、写真誌「Emma」(文藝春秋/廃刊)の専属スタッフを経て、フリーとして独立。週刊誌やスポーツ新聞などで幅広く活躍する。現在は『おはようコールABC』(朝日放送)、『今日感テレビ』(RKB毎日放送)などにコメンテーターとして出演。