――上京して数十年、すっかり大坂人としての魂から乖離してしまった町田康が、大坂のソウルフードと向き合い、魂の回復を図る!
photo Machida Ko
左に興味深げにじっと見つめる老紳士。右に顔面土砂崩れみたいな露出過剰のエロ女。そんなものに挟まれてイカ焼を食べなければならないのはなんの因果だろうか。
大森というところで先祖がイカを虐めたのだろうか。露出した山肌でフェスかなんかをやったのだろうか。高野山で鋤焼きをしたのだろうか。当たり前の話だがまったく身に覚えがない。
そんなことを思いながら私は不自然なくらい真正面を向いて奥行きを欠いた看板のようだった。或いは観光地によくある顔を嵌めるパネル。
そんな私を左右から首を直角に曲げて見つめる男女。人間の視野は前を向いておっても耳の横くらいまではあるから、二人がこちらを凝視しているのが充分に感じられる。
失われていく熱。容赦ない探求と呪詛の視線。多くの人々の敵意と無関心の混ぜ合わせ丼。耳を澄ますと低い音が黒い塊のように偽りの室に響いていた。
その塊の中に煙のような真言が混ざっていた。私はなんとかしてその真言をつかみ取ろうとして、右手を偽りの室の、というか、駅舎の天井に伸ばした。
右手がスルスルと伸びていく。その様を左右の男女が凝と見ていた。
煙のような真言を摑むのはでも不可能だった。なぜなら煙のようだから。摑んだ、と思ったって煙だから別のところへ漂っていく。しかも元々が黒い塊のような低い音の中にあるかないかくらいの幽かな存在としてあるわけだから、摑むのは難しいに決まっていた。
そして摑みたくもない黒い塊を摑んでしまう。
黒い塊はねばねばしていて手につくと非常に嫌な感触がある。また、刺激性があって手の表面が痛がゆくてたまらなくなる。そこで銀色の金属でできている天井パネルやダクトなどに手をこすりつけてネバネバを落とそうとするのだけれども、ネバネバはまったく落ちず、それどころか、天井パネルやダクトに附着していた塵芥が手に付着し、ネバネバと合体してより厄介な付着物と成り果てた。