女は自分の商品価値を定量的に確認したい生き物で、男はそれがわからない。髪を失ったラプンツェルの存在価値とは?

――サブカルを中心に社会問題までを幅広く分析するライター・稲田豊史が、映画、小説、マンガ、アニメなどフィクションをテキストに、超絶難解な乙女心を分析。

『塔の上のラプンツェル』(DVD)

 今回は、特殊な能力のために塔の中に囚われてしまったお姫さまの物語、ディズニー・アニメ『塔の上のラプンツェル』をピックアップ!

※本文中にはネタバレがあります。

「美しすぎるプリンセス」こと、秋篠宮家の次女・佳子さまフィーバーが止まらない。この4月に撮影されたICU(国際基督教大学)入学式の際の一枚は、橋本環奈の“奇跡の一枚”を軽く超えていた。橋本が「千年に一人の逸材」なら、佳子さまはさしずめ「(神武天皇から数えれば)二千年に一人の逸材」。写真には「代表撮影」としかクレジットされていなかった、このカメラマンこそ紫綬褒章候補になっていただきたい。

 佳子さまがなぜそこまで愛されるのか。その魅力について、各紙・各誌はこぞって記事を作っている。たとえば、目下別件で話題沸騰中の香山リカ先生は、沸騰前にこんな分析をされていた。

「(略)ちょっとセクシーでやんちゃ、でも『安全圏内』。これが親世代に好まれるだけでなく、若年層の共感を得ている。今の若者は個性的すぎたり、主張が強すぎる人を敬遠します。与えられた環境に反発せず、その範囲で『ありのままの自分』をエンジョイするのが彼らの価値観だから」(毎日新聞 2015年4月7日)
 
「ありのままが最高に美しいプリンセス」が佳子さまなら、「ありのままの自分になりたいと歌ったプリンセス」はディズニーアニメ『アナと雪の女王』(14年公開)のエルサ(声:松たか子)である。が、今回あえて取り上げたいプリンセスは、その3年前に公開された、同じくディズニーアニメ『塔の上のラプンツェル』のラプンツェルだ。

『塔の上のラプンツェル』のあらすじはこんな感じだ。

 育ての親である美魔女なゴーテルに騙されて塔の上に軟禁されている髪の長~い少女ラプンツェルは、実は王国のプリンセス。ある時、泥棒の青年フリンの手引きで塔の外に出て、自由を謳歌する。ラプンツェルの髪に宿る不思議な力で若さを保っていたゴーテルは激怒、ラプンツェルを追跡するが……。

 ラストをばらしてしまうと、ラプンツェルはフリンの手で髪をばっさり切られ、不思議な力を失ってしまう。ゴージャスな金髪ロングから、田舎の中学生女子のように地味な黒髪ショートへと変貌するラプンツェル。しかし、それでも、フリンとラプンツェルは結ばれる。

 ここでラプンツェルはフリン、というよりも観客に、重大な問題提起を行った。「あなたが好きなのは私? それとも、私の持ち物(特殊能力を持った髪)?」。髪を切って特殊能力をなくし、かつ地味な見た目になった私でも、変わらず好きですか? という鋭い問いかけである。

 男子諸君なら覚えがあろう。彼女が唐突投げかけてくる「私のどこが好き? どれくらい好き?」という面倒な……いや、ラブリーな質問を。その質問を適当に流して、彼女にキレられたことがない彼氏のほうが、むしろ珍しいのではないか。

 女は自分のどこに商品価値があるのかを、常に、具体的かつ定量的に確認したい生き物である。容姿なのか、若さなのか、性格なのか、知性なのか、仕事能力なのか、セックスの相性なのか。それが彼女の自尊心の源泉でもあるからだ。

 しかし男は、抽象的かつ定性的にしかパートナーを形容しない。「魅力的だよ」「素敵だよ」など。だから彼女はキレる。どこが、どれくらい魅力的なのか。あんたが鼻の下を伸ばして“指導”してる新人のクミちゃん(仮名)と比べて、私のどこがどれくらい勝ってるのか、具体的に言ってみなさいよ!ってな。

 定量的に自分の魅力を確認したいのが女。定性的に彼女の魅力を捉えるのが男。そりゃ、衝突するのは当たり前である。

 ラプンツェルには、「特殊能力を持った髪」という具体的かつ定量的な商品価値によって需要が生じていた。じっさい物語内では髪をめぐる争奪戦が行われるし、そもそもこういう髪に生まれついたからこそ、物語のヒロインでありえた。

 しかし髪がなくなったラプンツェルは、わかりやすい特徴を失った、見た目にも地味な娘でしかない。「商品価値のあった髪を失っても、私には(定量的かつ具体的な)魅力があるの? 『ありのままの』自分でも好きでいてくれる?」と脅迫、もとい、問いかけているのが『塔の上のラプンツェル』のラストである。

 ただし、「ありのまま」で愛されるのは、「ありのままが美しい」子だけだ。ラプンツェルやエルサや佳子さまのように。もし仮に佳子さまが皇族ではなくなったとしても、あの容姿と魅力をもってすれば、ICUのアイドルになるのは間違いない。たぶん。

 ちなみに、『塔の上のラプンツェル』の原作であるグリム童話版『ラプンツェル』は、ディズニーアニメ版とまったく違う話だ。原作のラプンツェルは自由を求めて塔を出るのではない。なんと行きずりの王子とセックスを繰り返して妊娠してしまい、彼女を幽閉していた魔女にバレて髪を切られ、追い出されるのだ。これが「ありのまま」の『ラプンツェル』である。

「ありのままが美しい」なんて幻想だ。皇室はともかく、ディズニーアニメは名実ともにファンタジー(幻想)なのだから。致し方あるまい。皇室はともかく(とても大事なことなので2回言いました)。

稲田豊史(いなだ・とよし)
編集者/ライター。キネマ旬報社でDVD業界誌編集長、書籍編集者を経て2013年にフリーランス。『セーラームーン世代の社会論』(単著)、『ヤンキーマンガガイドブック』(企画・編集)、『ヤンキー経済 消費の主役・新保守層の正体』(構成/原田曜平・著)、評論誌『PLANETS』『あまちゃんメモリーズ』(共同編集)。その他の編集担当書籍は、『団地団 ~ベランダから見渡す映画論~』(大山顕、佐藤大、速水健朗・著)、『成熟という檻「魔法少女まどか☆マギカ」論』(山川賢一・ 著)、『全方位型お笑いマガジン「コメ旬」』など。「サイゾー」「アニメビジエンス」などで執筆中。映画、藤子・F・不二雄、90年代文化、女子論が得意。http://inadatoyoshi.com

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