――性と死―。大雑把にいえば、それ自体がタブー事項であり、過去にもあらゆる写真家たちがテーマにしてきたが、今、日本の写真界の最尖端で活躍する作家たちは、性と死をカメラでどう切り取っているのだろうか? 性転換手術を受ける恋人の姿から孤独死の跡が残る現場まで、8人の作品に焦点を当てたい。
性転換手術を受けた恋人を写した岡部桃の写真。
写真の“暴く力”は、常にタブーと隣り合わせの運命にあった。荒木経惟は女性器の写真を展示してわいせつ図画公然陳列の容疑を、篠山紀信は屋外で裸を写して公然わいせつ罪の容疑を、レスリー・キーは男性器の写真でわいせつ図画頒布販売の容疑をかけられた。万人が持って生まれるものですら陳列すればお縄になる国で、写真をタブーの側面から見ることは興味深い。ここでは、その最たるものである”性(生)と死”に現代の日本人写真家たちがどう向き合っているのかを見ていきたい。
まず、性のタブーとしてジェンダー問題がある。インベカヲリ☆【1】の被写体である幅広い年代の女性たちは、狂気じみた振る舞いと脱力感を漂わせ、観る者を誘惑・挑発する視線を送る。『竹取物語』に着想を得た著書『やっぱ月帰るわ、私。』(赤々舎/2013年)について、彼女はこう語る。
「かぐや姫は自分本位な女。無理難題で男を振り回し、結局は月へ帰る。その自由奔放さをポジティブにとらえたかった。規定の女らしさを期待されることに違和感を感じる子に、カメラの前で本来の姿を見せてほしいんです」
女性たちは長らく男性に消費されてきた。一方で貞操帯をまとわされ、清廉潔白を振る舞わなければならない。彼女らが真の自由奔放さを得るには、ルナティック(狂気的)な世界の手助け、すなわち月(Luna)が必要。そう思えるほど、斜めから当てられた柔らかな一灯ライティングは月光のよう。女性たちの苦悩を、インベは前向きかつユーモラスに暴く。
同じくジェンダー問題として、LGBT【注:レズビアン(女性同性愛者)、ゲイ(男性同性愛者)、バイセクシュアル(両性愛者)、トランスジェンダー(性同一性障害)の総称】はどうだろう。岡部桃【2】は、写真集『バイブル』(Session Press/14年)で同性の恋人が性転換手術を受ける過程や東北大震災の被災跡を写す。その写真は万華鏡よろしく虹色に染まっており、まるでLGBTに対する世間の色眼鏡だ。彼ら・彼女らにはわずかな隙も許されず、潔癖なほどの健全さを求められる。不条理で一方的な世の期待に対し、岡部は女性器を残して男となった恋人の裸などを暴くことで世の綺麗事を一蹴。それは破壊を伴った創造だ。だが彼女は感覚的に理解している、トラウマと葛藤に打ち勝つには時間をかけた救済が必要だと。その祈りを大震災跡地に重ねた。『バイブル』は肋骨からイヴを生み出さなかったアダムによる、ヘビに惑わされない平穏と静寂の聖書である。