――サブカルを中心に社会問題までを幅広く分析するライター・稲田豊史が、映画、小説、マンガ、アニメなどフィクションをテキストに、超絶難解な乙女心を分析。
ゴーン・ガール(初回生産限定) [DVD]
今回は、妻に失踪された夫の苦悩と絶望を描く『ゴーン・ガール』をピックアップ! ※本文中にはネタバレがあります。
春は出会いと別れと心療内科の季節。そんな新年度のはじまりに、我が国の晩婚化と不仲夫婦の鬱を加速度的に推し進めるA級戦犯映画がめでたくDVD化された。
その名は『ゴーン・ガール』。超ド級の夫婦鬱映画である。
(※「夫婦鬱映画」とは、独身者が観ると結婚に対する夢と希望がすべて破壊され、夫婦が一緒に観ると、長らく見ないフリをしていた家庭内問題をムリヤリ自覚させられる恐ろしい映画のこと。「寝た子叩き起こし映画」とも呼ぶ)
ストーリーはこうだ。ニックとエイミーの夫婦は冷え込んだ結婚生活を送っていたが、5年目の結婚記念日の朝、エイミーが失踪。ニックにはまったく心当たりがないばかりか、残された状況証拠から「ニックがエイミーを殺したのではないか?」という嫌疑までかけられてしまう。
映画の中盤で、この失踪劇はエイミーの狂言であることが判明する。エイミーは怠慢な結婚生活を送って若い女と浮気を続けていたニックに「罰」を与えるべく、巧妙に証拠を捏造して警察を欺いた。ニックに罪をかぶせて死刑にし、自らも命を絶つ予定だったのだ。
ここまでなら、「あ、メンヘラ異常妻のサイコパス映画、乙」で片付けられて終わりのところ、話はそう簡単ではない。エイミーは、テレビ番組で「妻に対して誠実ではなかった」と謝罪するニックの姿を見て、思い切り心変わりするのだ。失踪中にかくまってもらっていた元カレの喉を掻き切って殺し、狂言だったことを隠して「誘拐犯から命からがら逃げ出したヒロイン」を装い、ドヤ顔で帰還するエイミー。ニックはエイミーの狂言であることを知っていたが、世論は完全にエイミーの味方。証拠もないのでそれを明かせない。いっぽうのエイミーは嬉々として、かつ着々と「全米が羨む幸せな夫婦」を演じる算段を整えて、物語は終わる。
なぜエイミーは、ニックとの間に本物の愛がないと知っていながら、幸せな夫婦をロールプレイしたかったのか?
それは、エイミーにとって「結婚生活」とは、観客(周囲の人間)がいる前提の"作品"に他ならないからだ。"作品"の完成度が上がって良い見栄えになり、拍手を受けられるなら、その作者である自分自身が不誠実だろうが、欺瞞にまみれようが、泥まみれだろうが、クソまみれだろうが、いっこうに構わない。だからエイミーは自分のことを「クソ女」と自称する。
また、心変わり後のエイミーは、夫のニックですら「クソ男」で構わないと思っている。浮気性で怠慢で世間体を気にする「クソ男」でも、着ぐるみにすっぽり入ってしまえば観客にはバレないからだ。中の人、すなわち夫の真の人間性などどうでもいい。だから帰還したエイミーはニックに、「役割を演じて」と言う。それは「一生着ぐるみを脱ぐな」という非情な命令である。エイミーは「クソ男」であるニックの精子をセルフ種付けして、ニックに無断で妊娠するが、これも「子供」というものが"作品"を完成させるための大事な1ピースゆえ。着ぐるみの股間に切り込みを入れてペニスだけを無造作に引っ張りだす程度の蛮行など、エイミーにとっては屁でもない。
しかしニックは違う。妻が「クソ女」であることは許しがたい。「クソ女」と結婚している自分を受け入れることができないし、もし本当に妻が「クソ女」ならば、すぐにでも関係を絶ちたいと思っている。理由は、それが自分の低評価にもつながるからである。ニックは、否、男という生き物は、基本的に(あくまで基本的に)「不特定多数の他人から尊敬されたい」と願っている。「クソ女」が自分の妻だなんて、沽券にかかわる。女同士の集まりで噴出する旦那の愚痴より、男同士の集まりで噴出する妻の愚痴のほうが圧倒的に少ないのは、そういうわけだ。
しかしエイミーは、否、世の女性は違う。妻が夫に求めるのは、夫が不特定多数の他人から尊敬されること……ではない。夫が自分だけのために、彼にとって明らかに有意義でない時間を自分のために使ってくれることだ。どれだけ(夫にとって無駄な)カロリーを費やしてくれたかだ。それによって妻は愛の量を測る。内容のないおしゃべりやエンドレスに続く愚痴、夫にとって1mmも興味のない買い物に付き合うこと。それが夫にとって有意義でないことくらい、妻にもわかっている。その上で、「煩わしさ」というコストを、気前よく自分にだけ支払ってくれるのを望むのが妻なのだ。
エイミーは狂言失踪によってニックが自分にたくさんの時間を費やし、心を痛めて苦しんだ(カロリーを大量消費した)ことに無上の喜びを感じた。ニックが世間からバッシングされようが、卑劣漢扱いされようが、関係ない。ニックの世間評価が下がった分、自分に矢印が向いたなら、それでいいのだ。
この映画が(男にとって)本当に怖いのは、エイミーがメンヘラでも異常者でもないということである。エイミーの思考回路は宇宙人のそれではない。女性脳的には完全に筋が通っている。だからこそ、多くの既婚女性がこの映画を観た後に、デトックス療法でも終えたかのように「あー、スッキリした」「そうそう、そういうこと」「え、男の人ってこの程度のことも分かってないの?」とつぶやいた。
終盤、離婚することもできず、妻の暴走による妊娠も発覚し、暗黒の人生を歩むことが確定したニックは、偽りの結びつきでお互いを苦しめる関係は間違っていると異議を唱えるが、エイミーは即答する。「それが結婚よ」と。この瞬間、日本の非婚率が少し上がった音が聞こえたのは気のせいではあるまい。
ちなみに冒頭で説明した「夫婦鬱映画」だが、ここ10年ほどの不動の四天王は『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』『ぐるりのこと。』『ブルーバレンタイン』『夢売るふたり』であったが、ここにめでたく『ゴーン・ガール』が加わって5傑となった。心療内科、もとい離婚相談所へ行く前にでもまとめ見して、ぜひマインドセットの一助とされたい。貴殿の人生が平穏であらんことを。レスト・イン・ピース、もとい、ラブ・アンド・ピース。
『ゴーン・ガール』(2014年・米)
『セブン』『ファイト・クラブ』『ソーシャルネットワーク』で名を馳せるサスペンスの名手、デイビッド・フィンチャーが監督したサスペンス・スリラーにして、男と女、既婚者と未婚者で感想がまるで違う、合わせ鏡のような映画。脚本も担当したギリアン・フリン(女性)による同名の原作小説は、スティーブン・キングにも絶賛された。
監督:デイビッド・フィンチャー
脚本:ギリアン・フリン
出演:ベン・アフレック、ロザムンド・パイク
稲田豊史(いなだ・とよし)
編集者/ライター。キネマ旬報社でDVD業界誌編集長、書籍編集者を経て2013年にフリーランス。『ヤンキー経済 消費の主役・新保守層の正 体』(原田曜平・著)構成、評論誌『PLANETS』『あまちゃんメモリーズ』共同編集、『ヤンキーマンガガイドブック』企画・編集。編集担当書 籍は、『団地団 ~ベランダから見渡す映画論~』(大山顕、佐藤大、速水健朗・著)、『成熟という檻「魔法少女まどか☆マギカ」論』(山川賢一・ 著)、『全方位型お笑いマガジン「コメ旬」』ほか。「サイゾー」「アニメビジエンス」などで執筆中。映画、藤子・F・不二雄、90年代文化、女子論が得意。http://inadatoyoshi.com