防衛のための暴力を民主的に用いることは暴力をめぐる理論を刷新するか?

(写真/永峰拓也)

『マルチチュード』

アントニオ・ネグリ、マイケル・ハート(幾島幸子訳)/NHKブックス(05年)/上下ともに1260円+税
現代の世界を覆う資本主義の支配体制"帝国"に対抗できる主体とは? 国籍、人種、宗教、性といったあらゆる属性を超えた多様な人間たちが構成する"マルチチュード"による新たなグローバル民主主義の可能性を説く。

『マルチチュード』より引用
 力や暴力を民主的に使うことは、主権による戦争と同じでもなければその反対でもない。それは主権の戦争とは異なるものなのだ。

 第一に、新しい主権の配置においては戦争が主要な役割を担い、政治の基礎を形成するのに対して、民主主義が暴力を用いるのは政治的目標を追求する手段である場合に限られる。

 暴力を民主的に使用するための第二の原則――第一の原則よりはるかに実質的だが、はるかに複雑でもある――は、暴力を防衛のためにしか用いないことだ。

 暴力の民主的な使用の第三の原則は、民主的組織化のあり方そのものにかかわる。もし、第一の原則のとおり、暴力の使用が常に政治的なプロセスと決定に従属し、しかもその政治的プロセスが民主的なもの(略)であるなら、暴力の使用もまた民主的に組織されなければならない。

 今回とりあげる『マルチチュード』は、イタリアの哲学者アントニオ・ネグリとアメリカの哲学者マイケル・ハートによって2004年(日本語訳は05年)にだされた本です。「マルチチュード」とは「群衆」を意味する言葉ですが、ネグリとハートはそこにふくまれている接頭辞「マルチ」に注目して「多様性をもった(群衆)」という意味を込めています。要するに、国籍とか性別、職業や信仰、性的嗜好など、さまざまな属性をもった多様な人間からなる群衆が「マルチチュード」だということです。ネグリとハートはこの「マルチチュード」を資本主義の世界的な支配体制に対抗する主体として位置づけています。要は、世界中のいろんな人が集まって、連帯することで、資本主義の世界的な支配に抵抗していこう、ということですね。

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