「人間家族展」カタログより。左ページ中央の写真が、山端庸介が撮影した「おにぎりを持つ少年」。
1955年にアメリカのニューヨーク近代美術館でスタートした「人間家族展」は、翌56年に日本経済新聞社とUSIS(米国広報文化交流局)が共催に加わって日本の主要都市へと巡回し、世界全体の10%にも及ぶ100万人もの観客を集めるほどの熱狂をもって迎えられた。「われらみな人間家族」と訳された日本巡回展では、日本側の熱心さが伝わったということもあり、諸外国のように一国一都市ではなく、全国の主要都市を1年半にわたって巡回することになり、展示作品もニューヨーク展のものとは別に新たにプリントし直されることとなった。複数の写真を接がねばならない大型の写真が多数含まれていたため、引き伸ばしは写真家の山端庸介率いるジー・チー・サン商会が任された。ジー・チー・サン商会は、戦中に陸軍省依頼の写真壁画として知られる「撃ちてし止まん」などの制作を手がけた実績があり、大型の写真パネル制作の高い技術を有する会社であった。「人間家族展」には、山端が原爆投下直後の長崎で撮影した「おにぎりを持つ少年」も選ばれていたが、そのほかのポートレイトと一緒に組まれて展示されていたため、写真そのものが原爆や戦争を強く想起させることはなかった(右上の写真)。
「人間家族展」の日本側の実行委員会には、写真家の木村伊兵衛や渡辺義雄、石元泰博、写真評論家の金丸重嶺に加えて、会場設計を担当した建築家の丹下健三、USISのフランセス・ブレークモアらが名を連ねた。日本展では日本人写真家の写真34点が追加されただけでなく、展示構成に日本側の自由が与えられたため、山端が長崎の爆心地で撮影したほかの写真も新たに加えられた。