――御年23歳の眞子内親王殿下、御年20歳の佳子内親王殿下。この華麗なる姉妹を、その誕生時より日本のメディアは常に”消費”してきた。学習院女子高等科時代の佳子内親王殿下のAKBダンス騒動をはじめ、いくつかの重要報道を検証しつつ、日本のメディアと皇室の関係の本質に迫る!
■PROFILE
佳子内親王殿下(20)
1994年12月29日、宮内庁病院生まれ。秋篠宮文仁親王と同妃紀子の第二女子。お印はゆうな。13年3月、学習院女子高等科卒業。13年8月、アメリカのボストンへ短期留学。14年8月、学習院大学を中途退学、同年10月、AO入試で国際基督教大学に合格。眞子内親王殿下(23)
1991年10月23日、宮内庁病院生まれ。秋篠宮文仁親王と同妃紀子の第一女子にして、今上天皇の初孫。お印は木香茨。10年3月、学習院女子高等科卒業。14年3月、国際基督教大学教養学部卒業。卒業論文は「明治時代における神話画の誕生、発展、そして葛藤」とのこと。
『皇室 Our Imperial Family 第65号 平成27年冬号』(扶桑社)
「フライデー」2014年2月6日号(講談社)【11】に、佳子さまの私服姿の写真が掲載された。今春入学されるICU(国際基督教大学)の入学前オリエンテーションに訪れたところを撮影したものだ。マスクをしてコンビニ袋を片手に歩いているご様子を見るに、「撮られている」という意識はない。いわゆる盗撮である。もはや「佳子さまフィーバー」にタブーはない。
かつて眞子さま、佳子さまの報道は、女性週刊誌でありがちな「皇室アルバム」的報道の域を出ることはなかった。公の場で撮影された写真を中心に、成長のご様子やロイヤルファッションを綴るというものだ。あるいは普段の生活、学校の警備状況など、伝聞情報や周辺情報がほとんどだった。
フィーバーの萌芽が見られたのは09年。佳子さまの制服姿のプライベート写真が、同級生のSNSサイト「ミクシィ」を通じて流出。その写真を「フラッシュ」09年6月16日号(光文社)が掲載し、流出騒動を報じたのである。
そして、決定的なターニングポイントとなったのは10年。「週刊文春」10年11月11日号(文藝春秋)【4】のモノクログラビア「これが本当のダンシング・クイーン/眞子さまが学園祭で売りさばく『焼き鳥3本200円』」である。当時、学習院高等科1年生だった佳子さまは、「可愛い&SEXY」がコンセプトのダンスチーム「KYS(キス)」を結成。学園祭で披露したダンスの写真が掲載された。アイドルと見まごうような容姿、胸を強調するセクシーなポーズがネットを中心に話題となり、「これ撮った奴にピューリッツァー賞を贈りたい」という声まで上がったのである。
記事によると佳子さまは、「セクシーな腰ふりが魅力の佳子」と紹介され、ご学友たちから「AKBよりかわいい」「エロい~!!」と絶賛されたという。そしてこの記事以降、「本当に恋愛禁止の清楚なAKB」という扱いで報じるオヤジ週刊誌が続々と参入するようになる。
同時にネットのファンも熱くなった。2ちゃんねるの過去ログ検索サービス「ログ速」によると、08年までは、佳子さま関連のスレッドは年間10本未満だったが、09年には50本以上のスレッドが作られた。前述のダンス写真が掲載された10年には「佳子さま可愛すぎ」「佳子さまの可愛さは異常」など200本近くに激増。さらに、11年になると300本以上にも上り、世が世なら不敬罪にあたるような卑猥なタイトルのスレッドが多数を占めるようになった。すなわち10年から11年を境に、「かわいい」の域を超えて、男たちの欲望の対象として消費されるようになったのである。
皇室ウォッチャーで、旧皇族・竹田宮に連なる竹田恒泰氏との共著『皇室へのソボクなギモン』(扶桑社)もあるコラムニストの辛酸なめ子氏は、こう語る。
「佳子さまは学習院初等科時代、フィギュアスケートの大会に出ていらっしゃった頃からネットで『かわいい』と評判でしたが、当時は眉毛が太くて垢抜けない印象でした。高校生になり眉毛を整えられて洗練されてきたところに、あのダンスの扇情的なポーズが報じられた。衝撃的でしたね。女子校ということで油断して、身体表現が激しくなられたのではないかと思います」
眞子さま報道も負けてはいない。「フライデー」11年11月11日号【7】では、「眞子さま『ご学友とのプライベート写真』が流出!」と題し、インターネットに流出した写真を掲載した。眞子さまがふとんの上で男子学生に寄り添う刺激的な写真で、ICUのスキー部の合宿に参加した際に部員が撮影したものとみられている。さらに「女性自身」12年11月13日号(光文社)では、「秋篠宮眞子さま すべてひとりで! 紀子さま命じた英国留学超厳格ルール」と題し、イギリスのエディンバラ大学に留学中の眞子さまの登下校を盗撮し、掲載した。