描く者、読む者を癒やすタブーなきメンヘルマンガの世界

――うつ病やアルコール依存症の体験を赤裸々に描いた『失踪日記』(イースト・プレス)。2005年に出版された往年の人気マンガ家・吾妻ひでおによるこの作品は、文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞、手塚治虫文化賞マンガ大賞などを受賞。"メンヘルマンガ"というジャンルを確立した──。

『わが家の母はビョーキです』(サンマーク出版)/©中村ユキ

 320万人──。これは、平成25年版『障害者白書』に記された、日本における精神障害者の数である。精神障害者というと仰々しいイメージを持たれそうだが、ここでは医療機関を受診した精神疾患患者をもってカウントしているとのことで、つまり一時的に精神科を受診した人も含まれている。
 
 そして、マンガの世界においても、精神疾患=メンタルヘルスの問題は、テーマとして取り上げられることが珍しくなくなってきている。日本にこれだけ多くの精神疾患当事者がいるということは、すなわち読者にも書き手にも多くのメンヘラがいるということだろう。なんでもマンガにしてしまうこの国の風土にあっては、メンタルヘルスを扱うマンガ=メンヘルマンガが生まれるのは、必然的なことだったのかもしれない。

 実際、メンヘルマンガの先駆け的存在である『ツレがうつになりまして。』【1】は、映画化もドラマ化もされてヒットし、うつ病や統合失調症だけではなく、『もう大丈夫パニック障害でもがんばれる!』【2】など、パニック障害をテーマにしたものや、ほかにもアスペルガー症候群など、さまざまなテーマを取り上げた作品が続々刊行されている。

 もはや、「メンヘルマンガ」はひとつのジャンルとして成立しているといってもいいほどだが、これらの作者たちは、なぜあえてマンガという表現形式で、メンタルヘルスを描こうと思ったのだろうか?

「私は30年以上母の統合失調症に悩まされてきましたが、これをマンガにしようなどとは、ずっと思い浮かびもしなかったんです。ところが、細川貂々さんの『ツレがうつになりまして。』で、うつ病がメジャーになったのを感じて、ある時夫に『統合失調症も、うつ病みたいに世の中に認知されたらいいなあ。誰か芸能人とかが、自分の体験として告白してくれたら、知識が広まっていいんじゃないかしら』と言ったんです。すると、『あなたはマンガ家なんだから、自分で描いたらいいじゃないか』と言われて、本当に驚きました。その発想はまったくありませんでしたから」

 こう語るのは、『わが家の母はビョーキです』【3】の作者の中村ユキさん。幼少時から母親が統合失調症を患い、大変な経験をしながらも、母親と二人三脚で歩んできた中村さんの半生を綴った同書は、その後続編も刊行され、多くの支持を得ている。

「それでもその時はマンガに描く決心がつかなくて悩んでいたのですが、ある時マンガに描く、ということを前提に過去を振り返り始めたんです。そうしたら苦しい記憶ばかりがよみがえって眠れなくなり、一時は描くのをあきらめたほどです。そうして8~9カ月もたった頃、大阪に住んでいる親友に思い切って、そういうマンガを読みたいかどうかと相談しに行ったんです。そうしたら、『精神病についてはよく知らないけど、知らないことは怖いから、読んでみたい』と。実は『描くのはやめとけば』と言われるのを期待していた部分があったのですが、そう言われたことで背中を押された気持ちになりました」

 しかし、描き始めると、また新しい悩みが生じ始める。それは、作者の母が精神的に混乱して包丁を振り回すといったシーンが、精神病に対する偏見をかえって助長するのではないか、という心配だった。

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