ライジングに噛み付く抑制されぬ孤高の歌姫――安室奈美恵独立劇

路線変更が独立への鍵

小室哲哉のプロデュースを離れ、SUITE CHICとしてブラックミュージック路線に変更以降、安室はそのスタイルをかたくなに貫き通している。近年では海外プロデューサーからの提供曲はもちろん、TLCや蔡依林といった海外アーティスト、平井堅などの国内アーティストとの共演も積極的に行っている。
一連の独立騒動は、安室2015年をどのように変化させるのか。(写真はシングル「BRIGHTER DAY」ジャケット)

 歌手・安室奈美恵の独立騒動が公となったのは昨年8月のこと。同年5月に、彼女は20年以上所属している大手芸能事務所「ライジングプロダクション【1】」に対し、「独立したい」「これでは奴隷契約だ」と告げたと「週刊文春」(文藝春秋)が報じた。

 同事務所の元社長・平哲夫氏は、当時小学生だった安室の才能を見いだし、デビュー以前から彼女を手塩にかけてきた。そんな〝育ての親〟に対し独立の申し立てだけでなく、17年2月まで残っている契約期間の"印税や報酬割合の引き上げ""原盤権の一部譲渡"などの条件を安室は提示したといわれている。しかし、事務所側は要求を一切受け入れず、謝罪の要求に加え、損害賠償も辞さないと関係性は悪化。これを受けて、公となった8月に、安室側が"奴隷契約"という発言について謝罪する旨を綴った手紙を送ったと報道されたが、現在も和解には至っていない。では、なぜ安室が独立を視野に入れたかを考察したい。安室の活動履歴に詳しい音楽業界関係者が話す。

『安室奈美恵』
1977年、沖縄県生まれ。小室哲哉全盛期を支えるアーティストとして確固たる地位を築き、その後はブラックミュージックに傾倒した楽曲で、今なお第一線を走る歌姫。

「平社長が01年に脱税で逮捕され、会社に対する不信感を抱いた安室が、当時独立を考えたことは自然な流れです。社長逮捕後の02年に〈ヴィジョンファクトリー〉と社名を変更しましたが、MAXやDA PUMP、w-inds.などのアーティスト組は、安室ほどのムーブメントを巻き起こすことはありませんでした。結果、安室はエイベックスだけでなくヴィジョンファクトリーをひとりで支えた自負もあったのでしょう。昨年12月には再び〈ライジングプロダクション〉に社名を戻しましたが、その理由は社運をかけた西内まりやのデビューの成功、荻野目洋子や知念里奈の復活、平愛梨の再ブレイクなど、かつての勢いを取り戻すことができたからではないでしょうか。また、三浦大知や橘慶太(w-inds.)、国仲涼子の結婚といった明るいニュースが続いたのも、事務所の機運を上げたといってもいいでしょう。そういった背景もあり、安室自身も円満に離籍できるかと思ったはずが、まさかの泥沼。離れたくても離れられない奴隷契約と言ってしまう気持ちも理解できます」

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