与沢翼的なるビジネス書作家にコンサルタント……信者ビジネスにハマるマッチョワナビーたち

連載1回目はコチラ

――「格差」が社会論の中で常に中心におかれ、「勝ち組/負け組」というキーワードが一般化した昨今。政治、経済、文化などなど、現代社会における人間のあらゆる営みで生じている、ゆがみやきしみ、構造不全、機能不全といった諸問題を、マッチョとヘタレという視点で整理し、解決の糸口を探っていく本連載。第二回目は、マッチョとはなにか、について、ガチマッチョとエセマッチョ、マッチョワナビーなどのレイヤーに分けて、さらに深堀りしていきます!

『告白』(扶桑社)

クロサカタツヤ(以下、クロサカ) 今回は、我々がこの連載対談の中で語っている「マッチョ」とはどんな存在を指しているのか、といった点について少し掘り下げてみましょうか。

境 真良(以下、) ええ。で、さっそくなんですが、マッチョの中にもエッジとテールというか、“ガチマッチョ”と“エセマッチョ”みたいなレイヤーが存在すると思うんですよ。前回、いわゆるエスタブリッシュメント層のことをザックリと“マッチョ”、その他大勢の中産階級を“ヘタレ”と分けて話を進めたわけですが、マッチョにもいろいろあるよね、という話をしてみようかなと。

クロサカ ガチマッチョというのはたとえば、ちょっと家系図を遡っただけで歴史の教科書に登場するような偉人と繋がってしまう名門の家柄だったり、歴史のある企業の創業者一族だったりして、代々受け継いできた資産もあって……みたいな“ナチュラルボーン・マッチョ”層でしょうか? 生まれながらにしてマッチョ側、みたいな。

 あー、いるいる! いますね。そういう御仁は、基本的に時代の趨勢に関係なく、一貫してマッチョ側に存在し続けるんですよ。ナチュラルボーンマッチョの人たちは明らかなにガチマッチョの一部ですよね。僕も以前、そういう生まれながらのマッチョがたくさん集まるような酒席に潜り込んだことがあるんですが、彼らはもう物腰が違う。ただ、そこには上滑り気味な、成り上がり感プンプンのエセマッチョとか、なんとかしてマッチョ側に行きたいマッチョワナビーみたいな連中もいて、彼らは一生懸命、名刺を配って人脈づくりに奔走していたんだけど、ナチュラルボーンマッチョはまったくそんなことをしない。「会おうと思えば、また会えるでしょ」みたいな意識なんだと思う。

クロサカ ナチュラルボーンマッチョは「そもそも名刺なんていらないよね」というスタンスなんですよ。本当に誰かに会いたければ何かしらの接点がすぐに見つかるし、そういう家柄同士だと何なら曾爺さんの代から家族ぐるみのお付き合いがあったりして、いくらでも連絡が取れたりするから。

 そういう場に居合わせて、ヘタレ・オブ・ヘタレの僕は「へぇ~こういう世界もあるんだぁ。いいもの見せてもらったわ~」なんて、御上りさんみたいな感覚で眺めてましたけどね。

クロサカ いまの話を聞いて、改めて思いましたけど、ナチュラルボーンマッチョは“マッチョとしてのお作法”をちゃんと弁えているんですよね。ヘタレ側から見て、そういう人たちが存在しているのはうっすらと見えるし、面白そうなことをしている雰囲気なのはわかるんだけど、これ見よがしではない。

 前回、バブルがひとつの転機だった、みたいな話をしましたけど、90年代からゼロ年代前半にかけてマッチョ層のシャッフルがあったと思うんです。これはマッチョ層を支えている企業構造そのものが、技術革新とか金融システムの動揺とかでグラついたことによります。外資系金融機関とかIT企業とかがグッとのしてきたころですよね。

クロサカ そうですね。その過程で、さっき挙げたようなナチュラルボーンマッチョ層はなんだかんだありつつも、大多数はマッチョのままサバイブした。で、マッチョ層のテールにいたような層、エセマッチョはかなりの数が淘汰されてしまった。

 そうそう、ここでいうエセマッチョはバブル期に調子が良くなって勘違いした中小企業の人たちとか、大企業に就職できただけで自分が勝ち組になったと勘違いした人たち、ってことですよね。そういう人たちは企業破綻とかリストラとかの波に呑まれた。

 一方で、そうしたシャッフルの過程でマッチョの新興勢力も生まれてきたんです。ただ、新興マッチョはマッチョが本来持たなければならない作法とか節度をまったく弁えず、成熟したマッチョたりえていないのが問題なのかも。未成熟なマッチョが、マッチョのアイコンとして中途半端にもてはやされたりして、エセマッチョ予備軍とか底の浅いマッチョワナビーを巻き込み、周辺にエセマッチョを生み出しているのがマズイ。

クロサカ それを「新興エセマッチョ」とでも呼びましょうか。そして、現在の日本の社会情勢、経済動向を鑑みると、彼らが今後、マッチョとして君臨できるような居場所とか、社会的譲渡はなかなか期待できないと思います。そう考えると、いま新興エセマッチョが「どうだ、俺ってスゲェだろ」とヘタレにアピールし、煽るような言動をしているのは断末魔に聞こえなくもない。

 マッチョが自分たちのマッチョっぷりをひけらかすようになった、なんて話をこの連載の第1回でしましたが、それは彼らの危機感とか、焦りとか、不安定さからくるある種の叫びが、過剰なアピールのような形で表出してしまっているようにも感じます。

 今後、ヘタレによる市場主義、ヘタレ中心社会のような世界観が醸成されていく、というのが僕ら2人の共通見解なわけだけど、そういう時代に、中途半端なマッチョイズムを引きずったままの連中は、確実に時代遅れになっていくんじゃないかな。

クロサカ ええ。あと、新興エセマッチョの断末魔という視点からもうひとつフィルターを挙げるなら、2008年のリーマン・ショックも相当なシャッフルの機会でした。あの時、弱い新興エセマッチョはほぼ排除されてしまいましたが、その中でも生き残った人たちがいるんです。で、彼らは「俺はサバイブしたから、これからもマッチョとして生きていけるだろう」という自意識を獲得したんじゃないでしょうか。

 すでに指摘しているように、いまの社会の趨勢でいうと新興エセマッチョの居場所はすでにほとんどないし、これからもっとなくなっていく。つまり、そうしたエセマッチョ彼らの自意識は矛盾したものなんです。

 痛々しいよね。

クロサカ ええ。どう考えても社会全体の機能で見ると露骨なマッチョはフィットしていないのに、マッチョワナビー層とかにいわゆる「意識高い系(笑)」みたいな人たちがたくさんいる。あと、マッチョといえるかどうか限りなく怪しい、実態が伴っているかどうかよくわかならい輩なんだけど、とにかく成功者キャラで居続けようとする人もいます。

 で、社会にフィットしていないから、できることといえば信者ビジネスくらいしかないわけです。「俺の言ってること、正しいだろ? オマエも金持ちになりたいだろ? そうだよな、成功したいよな! じゃあ、俺のセミナー受けろ」みたいな。

 「私のおすすめ商品を詰め合わせたボックスを買ってよ」「俺と一緒に焼肉食おうぜ」とかね。そうやってワナビーから搾取するくらいしか活路がないと。「秒速で1億円稼ぐ」とか言っていた人とか。

クロサカ (笑)。安藤美冬さん、堀江貴文さん、与沢翼さんってハッキリ言えばいいのに。

 え? 誰っすかそれ(棒)? でも、まぁ安藤美冬さんと与沢翼さんって、基本的なビジネスモデルって同じ構造ですよね。というか、信者ビジネスだから似たようなものになって当然だけど。要するに、マッチョワナビーからどう収奪するか、というモデル。彼らがすごいのは、自分自身をひとつの商品として、アイコンとして成立させて、それだけでとことん頑張るというスタイルをやりきったことでしょう。ただ、それだけだけど。

クロサカ 自分をブランド化する、というのは同じ。たとえば、話題になったビジネス書作家とか、コンサルタントとかも、セルブランディングを明確に意識して、うまいこと自分をアピールしている方はたくさんいますし。それで最終的に自分のセミナーに信者を誘導したり、というのもよくある話で。結局、その方法がどのくらいゲスいかどうかの違いなんですよね。

 身も蓋もない言い方をしてしまうと、与沢さんは、ゲスい安藤さんみたいなものでしょ。どちらも信者に対して、自分磨きとか、自分への投資を促して、それをビジネスに結びつけるという構造は同じ。ただ、たとえば安藤さんのボックス販売は、あくまで売買の範疇に収まっているんだけど、与沢さんが展開していたのは、どこかねずみ講的というか、投資、……いや「投機」かな?、そんな臭いが強いビジネスでしたよね。

クロサカ 与沢さんのメソッドって、絶対にマッチョになれないようなマッチョワナビーに「オマエら、いま、足もとはぬかるみだぞ! まわりのヤツらを出し抜いて、ボコボコにして、蹴落として、その屍を土台として積み上げていかねぇと、自分の足場なんてなくなるぞ!!」というエゲツないことを、ひたすら優しく説いて、危機感を煽るものでしたよね。

 ただ、所詮はみんな、ぬかるみに堆積した死屍累々の上に楼閣を建てようとするものだから、結局は全員ぬかるみに沈んでいくのも道理と。実際、堀江さんは収監されて「デトックス」されたから、かつてのように強がってもどこか空回りしているし、安藤さんも与沢さんも、もはや別の場所へ行ってしまいました。

 ヘタレをリアルに食いものにしているような姿が見えてしまうと、嫌悪感が強くなってしまうもの仕方ない。ただ、原則論としていうなら、マッチョはヘタレから収奪することでマッチョでいられる、というのも事実なんですよ。だからこそ、ヘタレはマッチョをちゃんと監視しなきゃいけないし、勘違いしたマッチョには明確に「NO!」と言えなきゃいけない。マッチョはマッチョで、ヘタレに自分に対する嫌悪感嫌な感情を抱かせないようにしながら、上手に収奪する姿勢が必要になる。

 そうして社会全体のシステムとしては、マッチョから正しく収奪して、改めてヘタレに還元していく国家にならなきゃいけないんですよね。
(構成/漆原直行)

境 真良(さかい・まさよし)
1968年、東京都生まれ。国際大学GLOCOM客員研究員。経済産業省に本籍を置きながら、産官学それぞれでコンテンツ 産業や情報産業、エンターテインメント産業の研究を行う。このほど、『アイドル国富論: 聖子・明菜の時代からAKB・ももクロ時代までを解く』(東洋経 済新報社)を上梓。そのほかの著書に『テレビ進化論』(講談社現代新書)、『Kindleショック』(ソフトバンク新書)など。

クロサカタツヤ(くろさか・たつや)
1975年生まれ。株式会社 企(くわだて)代表取締役。クロサカタツヤ事務所代表。三菱総合研究所にて情報通信事業のコンサルティングや国内外の政策プロジェクトに従事。07年に独 立。「日経コミュニケーション」(日経BP社)、「ダイヤモンド・オンライン」(ダイヤモンド社)などでコラム連載中。

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