人は歳を重ね、成長し、偏向して行く……だから友だちはナマモノなのだ

SNS隆盛の昨今、「承認」や「リクエスト」なるメールを経て、我々はたやすくつながるようになった。だが、ちょっと待て。それってホントの友だちか? ネットワーク時代に問う、有厚無厚な人間関係――。

『月刊 京都 2014年 12月号』(白川書院)

 思い出は、地面に埋まっている。

 我々の記憶は、必ずしも私たちの内部(具体的には脳細胞だろうか)に保管されているわけではない。思い出は、むしろ、街並みに宿り、あるいは、音楽や、食べ物の味や、雨上がりの匂いや、川面に広がる油膜や、懐かしい友だちの顔とワンセットになったノイズとして、人格の外部に散逸している。

 であるから、私たちは、通常の状態では、古い記憶にうまくアクセスすることができない。古い時代の自分の身の回りに起こった出来事や、行き来していた人々について、何を記憶し、何を忘れているのかさえ、思い浮かべることができない。

 当連載のどこかで、「友だちは、友だちという外部の対象である以上に、自分自身の幼年期の延長なのだ」という意味のことを書いたと思うのだが、今言っていることも、大筋では同じ話の繰り返しだ。

 我々にとって大切な記憶は、どれもこれも、路地や、玩具や、捕虫網や、向かいの家に住んでいた足の悪い子どものような、細々とした具体物に紐付けられている。であるからして、そうした物理的な「ブツ」をフックとして目の前に持って来ないと、それらにまつわる記憶は、意識の表面にのぼってくることができない。ということはつまり、我々は、自分の部屋の中にひとりでいる限りにおいて、懐かしい記憶や自分の中に眠っている感情から隔絶されているのだ。

 諸々の記憶は、古い友だちと会ったり、何十年かぶりに昔住んでいた街を訪れたり、子どもの頃に大好きだった食べ物を食べたりしたタイミングで、唐突に、まるで雲が晴れるみたいによみがえる。言葉や事件の外形だけではない。風が顔に当たる肌触りや、濡れた子犬の匂いや、胸に秘めていた気分から、見えていた景色に至るまでのすべてが、まるで自分がまるごとタイムスリップしたみたいに明らかに再現されるのだ。

 昨年の夏、約30年ぶりに京都を訪れた。

 原稿を書く仕事にたずさわっている人間が、30年もの間、この歴史ある街に足を踏み入れていなかったということは、業界ではかなり珍しいことだ。

「文化人失格ですよ」

 と、何人かの知人に言われた。

「普通、何であれ文化的な営為にかかわっていれば、嫌でも2年に一度やそこらは京都に用事ができるものなんですけどねえ」

「つまり日本が嫌いだったわけですか?」

 半分は冗談で言っていることだったのだとしても、彼らの言葉は、なかなか辛辣だった。

「っていうか、私は、文化的な肌触りの原稿を書くことを自らに禁じていたんだと思いますよ」

 と、だから、私のほうも、半ばジョークでそう言った。

 半ばジョークで、というのは、半分以上本気だったということで、確かに、私は、高校生だった当時から一貫して、京都らしい、文化的で、みやびな、はんなりでほっこりの、湿度の高い、古畳くさい日本文学にまつわるいけ好かないあれこれが大嫌いだった。

 が、そういった事情を超えて、実際に訪れてみると、京都は、実に、私の心に、深々と根を下ろしていた。

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