ドキュメンタリー監督である松江哲明氏が、タブーを越えた映画・マンガ・本などのドキュメンタリー作品をご紹介!
別冊映画秘宝90年代狂い咲きVシネマ地獄 (洋泉社MOOK)
確かに90年代の日本映画の状況は酷かった。『男はつらいよ』とアニメーション以外、安定した動員を見込めなかった。『踊る大捜査線』以前には、映画館が満席になるような邦画は年に数本しかなかったはずだ。それでも僕が「映画」を目指し、作り手になることを意識した以上、自分の将来を“それ”に見出すのは自然なことだった。僕は96年に日本映画学校に入学したが、将来は「Vシネ」と決めていた。そこで修行をし、いつか本編を撮るのだ、と。先輩たちがそんな道を歩んでいたからだ。夏休みには石橋保主演の『本気』というシリーズの一本で録音助手に付き、柳葉敏郎、葉月里緒菜主演の劇場用映画『まむしの兄弟』では美術に参加した。とにかく一つでも多く現場を知りたかった。結果として最も刺激を受けたのはAVやピンク映画で、学校ではドキュメンタリーを専攻し今に至るのだが、当時は映画もVシネもピンクもAVも距離が近かった。
そんなことを『別冊映画秘宝 90年代狂い咲きVシネマ地獄』(洋泉社)を読んで思い出した。
本著にはレンタルビデオ店にしか置かれなかった作品が120本も載っている。そのほとんどが廃盤となっているが、中古ならばAmazonでは1円で買えるし、ネットで見ることも難しくはない。DVDで見られるものに関しては、親切にもその通り記載されている。つまり、こんな時代もあったなと懐かしむ本ではなく、現役のガイドブックでもあるのだ。
今年で25周年を迎えるというVシネマだが、僕にとっては青春を捧げたと言っても過言ではない。ハリウッドの大作もAVもVシネもレンタルショップでは同じ価格である以上、同等なのだ。せめて再生時間の間は満足させて欲しい。作り手たちも「予算では負けても気合いでは負けない」と思っているはず……とは限らないのが世の常だ。ハッキリ言ってVシネの10本の内9本はクソだ。時間のムダだった。だがとんでもない傑作とも出会えた。三池崇史、原田眞人、黒沢清といった監督たちはもちろん、渡辺武、室賀厚、福岡芳穂、宮坂武志といった監督名を見つけるだけで期待を高めることが出来た。ジャケットとスタッフやキャストから内容を想像し、スチールを見て想像を膨らませた。ハズレの時もあったが、鑑賞眼が鍛えられたことは間違いない。
当時のレンタルビデオ店はもう一つの映画学校でもあった。
本著に紹介されている作品は傑作ばかりではない。怪作としか言いようのない、なんでも出せば売れてしまうバブル期だったからこそ生まれてしまった作品も多く紹介されている。全裸で縛られたルビー・モレノがこちらを見つめるジャケットが心苦しい『SM借金地獄』、村西とおる製作『女ランボー』、なぜか文部省選定されてしまった『こけし物語』……。僕は覚えているが、これらの作品をカウンターまで持って行く勇気も気力もなかった。どうせつまらないに決まっているからだ。
そして20年経ってレビューを読んでもその予想が間違っていなかったことを知った。でもどこか悔しい気持ちもある。この文章を書いた人は僕と同じ状況にあった時、僕には踏み出せなかった一歩を進んだからだ。そして1800文字もの熱量で怒りや興奮や感動と失望を書いている。そこに差を感じてしまう。僕も『タフ PART3 ビジネス殺戮編』と『新高校教師 桃色の放課後』という作品を書いているが、この2本は誰が見ても傑作と認める作品だ。そんな「素晴らしい」作品しか見ていない自分が恥ずかしい。僕も皆のように金を損した失敗作を語りたい。思えば学生の頃はそんなどうでもいい自慢をし合っていた。「誰よりも一本でも多く見ておきたい」というマニア心を久々にくすぐられた。
Vシネは今も残っているが、当時とは状況が違う。フィルムで撮られることもないし、予算も激減した。あの頃のような勢いのある作品が生まれるのは難しいだろう。実際、僕も最近の作品は見ていない(※城定秀夫監督と白石晃士監督は除く)。
しかし、当時に受けた刺激は忘れていない。
同じことは出来ないが、その影響を別の形で表現することは可能だ。せめて志は継承したい。それが歴史を繋ぐ、ということだと思う。
(文=松江哲明)
まつえ・てつあき
1977年、東京生まれのドキュメンタリー監督。99年に在日コリアンである自身の家族を撮った『あんにょんキムチ』でデビュー。作品に『童貞。をプロデュース』(07年)、『あんにょん由美香』(09年)、『フラッシュバックメモリーズ3D』(13年)など。『ライブテープ』は東京国際映画祭「日本映画・ある視点」部門作品賞を受賞。