――わずか2年半の活動期間にもかかわわらず今なお伝説のアイドルグループとして語り継がれる、おニャン子クラブ。アパレルブランド「セーラーズ」を若者たちにはやらせるなど、社会現象を巻き起こした同グループで、アイドル街道を激走していた国生さゆり氏に、"あの頃"のアイドル衣装と自身の思いについて回想していただく!
(写真/黒瀬康之)
私がアイドルをやっていた当時は、景気がよかったんですよ。「セーラーズ」はおニャン子クラブのトレードマークになってたけど、実は当初は衣装といっても私服だったんです。ただ、そうすると着回しにも限界があるし、出演ギャラを全部自分のお小遣いにはできない人もいるから、身なりに差が出るようになっちゃって。そういう"格差"があると、女の子って敏感じゃない? そんな時、セーラーズの社長さんがポンと服を無償提供してくれることになったんです。しかも、気前よく週替わりで。私は上京組で仕送りもない中で生活してたから、助かったなぁ。何より当時はそれがオシャレだったし。これが、『夕やけニャンニャン』(フジテレビ)だけじゃなく、テレビ番組に出演する時はいつもセーラーズを着てたコトの経緯。
デザインは揃いの衣装が多かったから、「色」が大きな意味を持ってました。誰が何色を着るかは曲を歌う時のフォーメーションで決まるから、最初は端っこの立ち位置だった私は、たいてい緑かオレンジ色。赤とか黄色とか、かわいい色を着られる子がうらやましくて。楽屋で「その色が着たい!」って、言い合ってることも……まぁありました(笑)。
ソロデビューすると、専属のスタイリストさんがつくのが普通なんですけど、私の場合は違って(苦笑)、1枚目の「バレンタイン・キッス」【1】から2枚目の「夏を待てない」【2】(共に86年)までは、自分で衣装を用意してた。所属していたレコード会社のソニーさんが、私はすぐに辞めてお嫁さんになっちゃうと思ったんだって(笑)。