フィクションはやはり不敬!? 司馬遼太郎も描けない天皇の肖像

――近代歴史を扱った小説において、天皇そのものを取り扱ったものは、右翼から襲撃を受けるなど、根強いタブーとなっている。幕末から明治維新を取り扱った歴史小説の中で、断片的に天皇がどう取り扱われているか、数ある歴史小説の中からその断片をすくい出すよう試みた。

名作が多い歴史小説は、今日でも、人気ジャンルのひとつ。

 1960年、中央公論に掲載された深沢七郎の小説『風流夢譚』は、主人公がバスの車中で見た夢のなかで、皇太子・皇太子妃が斬首されたり、天皇皇后の首のない胴体を見た……という衝撃のストーリー。わずか12ページのこの短編小説に対して世間では「皇室の名誉を毀損する」として、大々的な批判が展開され、同誌でもお詫び文を掲載。しかし、この騒動はこれにとどまることなく、61年、右翼青年が中央公論社社長の嶋中鵬二宅を襲撃。嶋中宅の家政婦を殺害し、嶋中夫人も重傷を負う事件へと発展してしまった。この小説の影響で、深沢は2年間に及ぶ逃亡生活を強いられる。
 
これが有名な"嶋中事件"だが、これほどの大事件には至らずとも、大江健三郎の『セブンティーン』(新潮文庫)や桐山襲の『パルチザン伝説』(作品社)のように、「不敬小説」として槍玉に挙げられる作品は少なくない。そのたびに世論が二分され、いつの間にか小説の世界においても、天皇に対する「タブー意識」は不可避のものとなった。

 現代でこそ「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」である天皇だが、かつては政治の世界において重要な役割を果たしていた人物。であるならば、「歴史小説」のジャンルには、天皇はひとりの重要なキャラクターとして登場するのでは……と思いきや、現代小説と同様に、天皇を描いた歴史小説は、ほとんど存在しないのだ。
 
歴史小説を手がける編集者は語る。

「過去には、時代小説の中で天皇の存在や意向に対する疑問を提示すれば、小説といえどもそのスジの人から『殺す』と、電話がかかってくることもありました。ある作家は、天皇についての問題をそのまま描くことができないため、中国の歴史を描きながら、天皇の本質を追求したと語っていました」

 そこで本稿では、特に、天皇が歴史の表舞台に登場してきた幕末から明治期にかけてを描いた歴史小説を引きながら、いったいなぜ、動乱期に重要な役割を果たした天皇の姿が描かれなかったのかを見ていこう。

すでに不敬罪はない それでも描かれない天皇

 文芸評論家の渡部直己は、著書『不敬文学論序説』【1】をこのように書き出している。

「ひとつの明瞭きわまりない事実確認からはじめたい。小説は原則としてあらゆるものを如何ようにも描きうる。無際限にして野放図なその欲望こそが、小説のもっとも基本的な要請であり、これじたいを否定する作家はおそらく皆無であろう。にもかかわらず、じきに二一世紀を迎えようという現在、この国で筆を執る作家たちは、ほんとんど誰一人として、同時代の天皇(あるいは皇室)を描こうとはしないし、描き出す気配すらない。このことは、二、三の例外を除き、明治・大正・昭和の天皇についても同様である」

 週刊誌などにおけるスキャンダラスな皇室報道を見てもわかる通り、現代においては、昭和の昔とは異なって、よっぽど天皇をあしざまに書いていない限り、過激な右翼勢力といえども執拗なクレームをつけてくることはなくなった。それにもかかわらず、渡部が書くように、作家たちは天皇を描くことを回避しているようだ。今年4月に、現地の寺院や旧華族に近い場所から資料を入手し、描いた時代小説『庄内藩幕末秘話』【2】の著書がある宇田川敬介氏は語る。

「確かに、近代の天皇の姿を描いている小説は決して多くありません。仮に登場する場合でも、『帝はこう言った。こう考えているようだ』といった伝聞形で書かれているものがほとんどですね。浅田次郎の『壬生義士伝』【3】でも天皇は松平容保の口を借りて登場するし、佐藤賢一の『新徴組』【4】でも『天子さまの後光を利用した』などと語る描写があります」

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