――2008年「GLAMOROUS」でセミヌードを披露し、話題を集めた中島知子。休業を経て、ヌード写真集出版やAV監督に挑戦するなど、女性性に真っ向から対峙する活動を行う彼女に、その経緯と40代の等身大のセックス観を赤裸々に語ってもらった。
(尾藤能暢/写真)
──中島さんが初めてヌードを撮影したのは、「GLAMOROUS」2008年4月号(講談社)ですね。オファーが来たときは、どう思いましたか?
「GLAMOROUS」2008年4月号の別冊付録「乳がん撲滅チャリティ 蜷川実花が撮った10人のヌード 10WOMEN」では中島のほか高岡早紀、観月ありさ、平子理沙などがセミヌードを披露し、東京と大阪で写真展も開催された。収益の一部は乳がん関連団体に寄付された。
中島 ほかの人が全員モデルさんや女優さんという中で「編集部は何を考えてるんやろ(苦笑)」と思いましたけど、女性としては参加したいキャンペーンでしたし、蜷川さんに撮っていただく機会もめったにないので、うれしかったです。
──当時、36歳という年齢でしたが、抵抗はありませんでしたか?
中島 30代後半くらいから乳がんにかかる人が増加するというまじめなお話だったんで、まったく気になりませんでした。もともとエステが好きで、美容にはお金をかけてたんですよ。ゴッドハンドと呼ばれる高橋ミカさんのエステに通っていましたし、さらに撮影に向けてダイエットもしたんで、「いつでも脱げるわ」という体になってたんです(笑)。蜷川さんも「余計なところは写さないから大丈夫。ノリで行きましょう!」とやさしくポーズも指示してくださって、撮影はあっという間でした。
──そして昨年、42歳でヌード写真集『幕間 MAKUAI』(講談社)【註1】を出版されました。
中島 実は、20代の頃からヌード写真集を出してみたいと思ってたんです。ただオファーがなかったし、当時は司会業もしていたので仕事上難しくて実現できませんでした。40代になって夢が叶ったわけです。
「GLAMOROUS」ではテーマが決まっていましたし、女性誌ということもあってスタッフは女性しかいませんでした。『幕間』は、カメラマンが西田幸樹さんという男性で、撮ってもらいながら、「2~3日前に知り合ったおじさまの前で素っ裸で何してんやろ」と思いましたけど(笑)、西田さんは何人ものグラビアを撮ってらっしゃる慣れている方。かといって「いいよ~セクシーだよ~」と過剰に煽る感じではなくて、なんて言うのかな、洗濯物を畳むかのように自然体で撮影されてましたね。
──『幕間』は基本的には男性向けですが、女性にも見てもらいたいという気持ちはありますか?
中島 そうですね。女は40代が盛りなんで、これを見て「この人、40代だけどがんばってるな」と思ってもらえたらいいですね。でも、「美魔女」とは違う、等身大の「熟女」の写真集として見てもらいたい。
結構おじさまには売れたんですよ。大竹まことさんは、「半分くらい見て半分くらいしか勃たん。最後まで見たら勃つかも」とおっしゃってましたが(笑)。