――日本のみならず、ベトナムや新疆ウイグル自治区などで、高圧的ともみられる行動を繰り返す中国政府。ニュース番組や新聞などで、こうした問題を目にする機会も多いが、どこか中国という国は好戦的に見えてしまうことはないだろうか? 本稿では中国を知り尽くした知識人の分析をもとに、この問題を多角的に紐解いてみたい。
中国船によるベトナム船への衝突は、多くのメディアで取り上げられた。
中国という国家が、その周辺諸国や辺境地域で起こすさまざまな軋轢が、連日のようにニュースや新聞で報道されている。5月24日には、東シナ海上空で中国軍の戦闘機が自衛隊機と異常接近。ベトナムに近い南シナ海では中国が石油掘削を始めたことで、中国とベトナムの関係が急速に悪化。ベトナムでは反中デモが巻き起こった。また、新疆ウイグル自治区では爆弾テロが度々発生し、天安門事件から25年を迎えるに当たって、民主化運動や、反体制的言論への締め付けが強化されるなど、中国内部でも不協和音が高まる中、安倍晋三総理は「中国の脅威」を根拠に置きながら、集団的自衛権の行使容認への動きを加速させている。
これらの事象を根拠として、「中国は好戦的な国である」と見られがちで、事実、保守系の週刊誌やオピニオン誌などでは、日中開戦のシミュレーションが行われることすら珍しくない。こうした中、やはり「反中」的な時代の空気は、ひと昔前と比べると確実に広がっているように思われる。
だが、そういった時代の空気の拠り所となっている「中国は好戦的な国である」という言説は、本当に正しく、根拠のあるものなのだろうか? 本稿では、中国を知り尽くした知識人たちの分析を聞きながら、我々は中国という国家をどのように認識するべきなのかを考えてみたい。まずは本稿の“前提”として、中国の近代史を見ていこう。
※ ※ ※
「中国は、現在はアメリカに次いでGDP世界第2位の経済大国になっているのにもかかわらず、精神構造としては、“いじめられっ子のトラウマ”から抜け出せないでいます。かつてはアジアの中心だった中華帝国が、イギリスとのアヘン戦争(1840~42)以降、百数十年にわたって列強に虐げられてきたという思いがあるのです。その歴史の屈辱をいま取り戻しているという側面は中国人の頭の中にはあるのかもしれません」
こう解説するのは、拓殖大学教授の富坂聰氏。中国への留学経験と豊富な取材経験を持つ富坂氏は、『中国という大難』(新潮文庫)など、中国に対する多数の著書があり、テレビのコメンテーターとしてもおなじみだろう。
「アヘン戦争から数十年ほど遡る乾隆帝の時代(在位1735~95)、清朝は台湾・ビルマ・ベトナムなどへ遠征を行い、中国史上最大の版図を領有していました。(モンゴルによる王朝だった元を除く)。中国人の中にはその範囲までが中国だと思っている人もいて、彼らからすると、今の中国の行動は、他国の領土を荒らしているのではなく、自国の領土を取り戻しているのだ、という論理なのかもしれませんね」(富坂氏)
また、愛知大学教授で、『「死体」が語る中国文化』(新潮選書)などの著書がある樋泉克夫氏は、次のように語る。
「毛沢東をはじめとして、中国の指導者は、アヘン戦争以来の世界文明史に対する敵討ちということを常に考えてきたと思います。さらに、漢民族には常に外側に移動し、自分のテリトリーを広げようとする民族性がある。外国にビジネスチャンスがあれば、どんどん外に出ていく。中国の近代史に加えて、そういった漢民族の民族性を念頭に置かないと、今の中国の行動原理は読み解くことができないでしょう」
世界中の大抵の都市にはチャイナタウンがあるのも、外国に移り住むとすぐ同郷の人たちと強固なネットワークを構築するのも、そういった漢民族の性格が源にあるといえそうだ。富坂氏が解説する。
「『中国人』という概念ができたこと自体はわりと最近で、1911年に辛亥革命が起こって中華民国が成立して以降のことだといっていいのです。それ以前にあったのは、あくまで中華というぼんやりとした連合体でした。それは国境で区切られた近代的国家ではなくて、自身の影響力の及ぶ範囲を中華と呼んでいたものでしたから、西洋でいう国家とは大分違っていたのです。それを急に西洋式の『国家』に切り替えようとしたことで、摩擦が生じていることは間違いないでしょう」
樋泉氏は、中国の世界戦略を以下のように読み解く。
「今の中国指導部は、中華帝国の偉大な復興ということは本当に考えているでしょうね。中国という国の面白いところは、トップがどの民族でも、中華システムで国を動かせば中華帝国になるというところ。だから、清朝も王家は満州族だったけど、それと清朝が漢民族の帝国だったことは矛盾しない。ただ、モンゴルの征服王朝だった元はちょっと話が違って、だから東ヨーロッパまで版図が及んだフビライ・ハーンの時代にまで取り戻そうとはさすがに考えていないんだけど(苦笑)。それでも、清朝はじめ歴代王朝の封建的な版図であった新疆やチベット、東シベリア、そして尖閣は自分たちのものだという認識がある」
中国の歴代王朝は周囲の民族を「東夷西戎南蛮北狄」と呼んで野蛮な周辺民族と見なし、朝鮮やベトナムなどに対しては貢物を進呈させて服属関係を示す朝貢を行ってきた。こういった中国中心の東アジア秩序が瓦解し、列強諸国、特に日本に進出された近現代史こそが、中国のトラウマになっているのだという。富坂氏が解説する。
「1895年に日清戦争に敗北。中華民国の成立を挟んで、1931年の満州事変、37年からの日中戦争(日華事変)という歴史を、中国では暗黒の近代史と捉えています。学校でも詳しく教えられて、それが発想の中心にあるから、すぐに被害者意識を持つんですね。例えば、今、中国人旅行者のエチケットが世界で問題になっていますが、そういったことを指摘されると、侮辱されていると思うらしい。単純にレストランのバイキングで大皿ごと持っていくのはやめてほしい、とかそういうことをお願いしてるだけなんですけどね。そろそろ中国も、大国としての余裕のある風格を身につけたほうがいい時期に来てるのでは、と思うのですが」
ここで再び中国の近代史を紐解くと、中国では日本とのせめぎ合いと並行して、中華民国の国民党と、現在の中華人民共和国に連なる共産党が対立と合作を繰り返す。45年に日本が連合国に無条件降伏すると、国民党と共産党の内戦は激化し、最終的に国民党は台湾に逃れ、49年に毛沢東主席のもと中華人民共和国が成立する。樋泉氏が解説する。
「毛沢東が唱えたのは、共産主義的な聖人君子になることが人間としての務めだというもので、それを極限まで推し進めたのが、あらゆる資本家や知識人を否定した文化大革命でした。しかし、結局毛沢東が理想として掲げた、中国人を聖人君子にすることで中国を強い国にする、という理想は不可能だということがわかりました。
そこで、結果として毛沢東と逆のことを始めたのが、毛沢東の存命時には何度も失脚しながら、毛沢東の死後、不死鳥のように蘇った鄧小平です。鄧小平は92年、『南巡講話』という各地を回って出した声明の中で、『社会主義市場経済』を打ち出します。要するに『金儲けのどこがいけない。金儲けをどんどんやれ』というものです。
現在、習近平政権下で中国は世界第2位の経済大国となり、漢民族としての絶頂期に到達しています。アヘン戦争以来の積年の宿願である『強くて豊かになること』を達成し、さらに軍事力をつけようとしている。こんなに漢民族の歴史目的に合致した政権は、かつてなかったとさえいえるかもしれません」
果たして中国と日本の有事は起こるのか?
世界各国で見られるチャイナタウンの風景。
それでは、そのように強大な軍事力を身につけた中国は、実際に日本と事を構えようとしているのだろうか?
中国出身で、中国関連の日本語書籍を発行する出版社「日本僑報社」の編集長・段躍中氏は、日中の交流イベントを定期的に開催したり、中国人による日本語作文コンクールを主催する(その最新の作文集は『中国人の心を動かした「日本力」』として日本僑報社より刊行)など、日中の相互理解に努めている。段氏は言う。
「日本の夕刊紙の見出しを見ると、中国人は、『日本人は恐ろしい。軍国主義に走っている』と思う。情報化時代だから、お互いの報道はすぐに伝わります。特に、中国のメディアは、日本の右寄りの意見をピックアップして取り上げることが多いため、中国人としては非常に敏感になっています。直接お互いが交流するチャンスがないから、お互いに疑心暗鬼になっているのが今の状況であって、中国人も自分から日本と戦争をしたいなどとは考えていないと思います」
富坂氏はこう話す。
「最近中国人と話すと、『日本は中国と戦争をしたいのか』と聞かれるようなことが多くなって、日本人からすると『え?』と思うんだけど、我々が思っている以上に中国は日本のことを恐れているよね。だから憲法第9条の変更のことなどを話すと、すごく反発して、『日本はまた虎になるのか』と言ったりする。
安倍総理の掲げる集団的自衛権の行使容認についても、中国側は安倍総理がアジアの安定を乱そうとしているという言い方をするわけ。中国としては自分たちがトラブルメーカーだという意識は不思議と希薄で、南シナ海とか尖閣にしても当然のことをしていると思っている。それが我々の感覚とのズレの根源になっている」
日本では、中国の反日デモや政府高官の日本への抗議などが大きく報道されるが、それ以上に、共産党の公的メディアである人民日報や、ネット上の中国のさまざまな反日言説が日本語に翻訳され、中国の言論空間は反日的空気に満ちているかのようなイメージも強い。特に政府系メディアは拡大する経済格差などの国内の不満から目をそらすためにも、日本批判を叫びがちだし、出版・ネット双方において言論の自由は確保されていないので、共産党政府の批判につながる言論は封じられてしまうのが現実だ。だが、その中でも、実際には中国の言論も反日一辺倒ではなく、冷静に中国を世界の中で捉える知識人もいるという。樋泉氏は言う。
「葛兆光(1950年~)という上海の復旦大学文史研究院長を務めている学者が書いた『中国再考 その領域・民族・文化』という本が岩波現代文庫より邦訳されていますが、これなどはぜひ日本の反中の人に読んでほしい。この人の考えは、中国の歴史を世界の中で考え直せば、周辺の国から恩恵を受けているし、身の丈に合った考え方をするべきというもの。
彼は『中国再考』の中で、『我々は、中国の歴史空間は非常に強い連続性を有するが、その一方で古代の”領域”と現代の”領土”は完全には一致せず、しばしば変化することを認めなければならない』と述べ、尖閣諸島の領有権の主張などについても否定的です。こういう人が中国のインテリ層にいるということは日中両国にとって救いだし、もっと知られてもいいのではないかと思いますね」
中国のネット空間でも、反日言論に異論を唱えるオピニオンリーダーも出てきているという。前出の段氏はこう話す。
「2013年、『老兵東雷』と名乗るブロガーがネットにアップした論文が中国で話題になりました。訪日経験もある政府系エリートであるこの男性が書いた文章は、『戦後長きにわたり平和を守った日本が、いまから軍国主義化することはありえない。中国にとって日本は最大の援助国であり、中国は、すぐに日本を過去の恨みと結びつけ、憎むことはやめるべき』と伝えるものでした。反政府的な言論はネット上から削除されてしまう中国ですが、この文章は削除されず、中国内で大きな反響を読んでいます」
段氏は日本財団会長・笹川陽平氏のブログに掲載された老兵東雷氏の論文に本人が加筆したものを日本語に訳し、『中日 対話か? 対抗か? 日本の軍国主義化と中国の「対日外交」を斬る』というタイトルで、日本僑報社より7月末に刊行する予定だ。多くの人々に広く読まれてほしいと期待を寄せている。
それでは、今の日中関係に潜むリスクとはどのようなものなのか。富坂氏はこう、指摘する。
「一般の中国人は、決して好戦的ではなく、戦争に対する抵抗感はとても強いんです。ただ怖いのは、何か紛争に火種が起きる時というのは、大きい声を出す少数の人間に全体も引っ張られてしまうということ。例えば、尖閣諸島で過激な中国人が騒いでいた時に、何かの事故で海上保安庁の船がぶつかって、本当に挟まれて死んでしまうとか、そういう突発的な事態が起こってしまった場合に、双方の感情がエスカレートして止められなくなる。
その結果、本当は誰も戦争なんてしたくないのに戦争に向かってしまうという危険性すら今の日中関係の中には潜んでいる。そうならないための話し合いの装置を持ちましょう、と日中で言い合っているんだけど、なかなか具体化しない。突発的なリスクが生じた時に、それをいかにマネジメントするかというのが、日中関係の喫緊の課題だといえるでしょう」
ネット社会では、フラットな言論が担保されるどころか、少数の過激な意見が拡散していく傾向があるのは、もはや明らかになってきた。こうした言論環境の中では、情報の価値を見極める視点が一層必要になってくるだろう。だが一方、依然として反日感情が強い状況にあっても、日本への中国人観光客は増加し続けている。段氏によると、日本を訪問した中国人のほとんどは、日本を好きになって帰っていくという。
「日本に来る前は政府系メディアや、抗日ドラマなどの影響で日本に対して悪い印象を持っていた人も、実際に来てみると、皆日本を好きになる。街も空気もきれいで、買い物も心配なくできる。食べ物がおいしい、店のサービスが徹底しているし、人々は親切で、交通の便がいいといった日常生活に感心する。大気汚染のない日本に来ることを『肺を洗う』と言ったり、『日本に来ると中国に帰りたくなくなる』と言う人もいるくらいです」
結局、中国人の本音は反日と日本好き、どちらなのだろうか? 富坂氏は、このように分析する。
「中国人は今の日本に右傾化とか、軍国主義化というレッテルを与えようとしているんだけど、その一方で日本に対する強い憧れを持っている。ここで日本と中国の違いが出るのは、日本は好きな時は好きだけど、嫌いとなったら全否定になる。だから今日本人は中国に行かなくなったけど、日中関係が悪化しても日本に来るのは、中国人は好きと嫌いを併存させていて、政治は嫌いだけど文化やサービスは好きだと使い分けるんだね。でも一回日本に来てみると、なんでこの国の悪口を言っていたんだろうと我に返るみたい」
今後、我々は中国とどのような関係を築いていけばいいのだろうか? 樋泉氏は、こう指摘する。
「国と国の関係は恋人関係とは違うんだから、好きだから付き合う、嫌いだから付き合わないという単純なものではない。好きでも付き合う必要がない時はあるし、嫌いでも付き合わなきゃいけない場合があるということを、もっと日本人は考えないといけない。
それこそ中国の圧倒的な人口の前に日本が対等な存在感を示していくためにも、生産性のある発言をしていかないと。その場合、林語堂が1935年にニューヨークで英語で刊行した著書(邦訳は『中国=文化と思想』講談社学術文庫1999年)で『細則までよく完備した制度を作る力量があると同時に、一切の規則、条例、制度を破壊し、あるいは無視し、ごまかし、弄び、操ることも出来る』と記している『民族としての中国人の偉大な点』を、よくよく考えておく必要があります」
富坂氏は、こじれた日中関係についてこう提言する。
「日中関係は、誤解をもとに、お互いが怒らなくてもいいところで怒っている側面は強い。さらに言うなら、勇ましくて面白いことを言うと、言った本人は自分の利益になるんだけど、そのことで結果的に国益は損なわれるということを、もう少し自覚的になったほうがいいのではないでしょうか。週刊誌も本気で中国がけしからんと思って書いているんじゃなくて、売れるから書いているんだから、それを真に受けている読者はかわいそうですよ」
感情的にお互いを否定し合うよりも、お互いを理解し合うべき。このような意見もネットでは批判されるほど、日中の感情的なもつれが広がって久しい。だが、双方が罵倒し合うことにどのような生産性があるのか、少し立ち止まって考えてみてもいいのではないだろうか。段氏は言う。
「たくさん中国人観光客を受け入れれば、日本に来た中国人は、確実に中国に帰ってから、日本のいいところを伝えるようになる。日本のスポークスマンになってくれるんですね。すると、周りの人も日本に来てみたいと思うようになる。そして何より一番大切なのは、日本人と中国人がネット上とかではなく、実際に会って話すことだと思いますね」
会って話せば、お互いの立場を理解し合える。そういう意見が能天気だと揶揄され冷笑される社会よりも、ごく普通の未来として思い描ける世界のほうが、過ごしやすい世界なのではないだろうか?
(文/里中高志)
中国で人気の日本文化
その最大のキラーコンテンツとは?中国では日本のさまざまな文化が翻訳・紹介され、実は日本に対する憧れは強い。文芸では、多くの日本語書籍が翻訳されており、村上春樹の『1Q84』(新潮社)、稲盛和夫の『生き方』(サンマーク出版)、東野圭吾の『白夜行』(集英社)は今もなお売れ続けている。また、渡辺淳一も人気作家で、中国では「情愛大師」などと呼ばれていた。意外な大ヒット作が山岡荘八の長大な歴史小説『徳川家康』(講談社)で、ビジネス書としても広く読まれているという。
それ以上に、広く人気を集めるのが、日本のマンガ・アニメ・ゲームだ。マンガは雑誌発売とほぼ同日に中国語訳されてネット上にアップされる。またアニメに関しては、中国では06年以降、ゴールデンタイムにおける海外アニメの放映(そのほとんどは日本製だった)が禁止されたため、それ以来一層ネットでの違法視聴が常態化した。ゲームも「青少年に悪影響を与える」として、ゲーム機の販売が表向き規制されていたが、ファンはさまざまな方法で、その規制をすり抜けていた(この禁止措置は、14年に上海など一部地域で解除される見込みとなった)。
そして、なんといっても最大のキラーコンテンツこそ、日本のAV。これも表向きは違法のため、海賊版や違法ダウンロードで広まっている。蒼井そらが中国で絶大な人気を得ていることは有名だが、今では中国の夜が日本のAVに席巻されているといえるほどの人気なのだ。