SNS隆盛の昨今、「承認」や「リクエスト」なるメールを経て、我々はたやすくつながるようになった。だが、ちょっと待て。それってホントの友だちか? ネットワーク時代に問う、有厚無厚な人間関係――。
『女ぎらい――ニッポンのミソジニー』(紀伊國屋書店)
この数日、個人的に忙しかった。
仕事が立て込んでいたわけではない。
といって、プライベートが忙しかったのでもない。なんというのか、自己防衛に忙殺されていたわけだ。
発端は、私がツイッター上に放流したコメントだ。
「戦争ラブな男とはHしない女の会とか言ってないで従軍いやん婦って言えよ」
というのがそれだ。
私は、さる女性団体がこの5月から展開しはじめた一風変わった反戦運動(←はじめから世間を騒がすことが目的だったのかもしれない)に反発を覚えて、彼女たちを揶揄する言葉を投げかけたわけだ。
反響は巨大だった。色々な意味で、私は苦境に立たされることになった。一番目立った反応は「女性差別だ。撤回せよ」というものだった。
差別の有無はともかくとして、従軍慰安婦というセンシティブなタームを無神経にいじってみせたのは不適切な態度だった。おかげで、左右両方向の人々が食いついてきた。丸三日間ほど、私は、ほとんど十字架に架けられたも同然の状態で過ごさねばならなかった。
詳しい顛末についてはほかのところに書いたので、ここでは触れない。結果だけを述べる。この「従軍いやん婦」炎上騒動を通じて、私は、「性差別主義者」ないしは「ミソジニー活動に励むコラムニスト」ぐらいな新しいレッテルを獲得することになった。
仕方のない成り行きだったと思っている。
実際、当たらずとも遠からずではあるからだ。
私は、自分自身の自覚では、20世紀生まれの日本の男としては、かなり明確にフェミニズム寄りの人間だと思っている。日本の社会が女性の権益に対して鈍感である現状に対しては、これまでにも何度も反対の意向を表明しているし、なにより私はマッチョ(男性主義)という人々を心の底から嫌っている。
ただ、そういう私にミソジニーが皆無なのかというと残念ながらそういうわけでもない。