「飛びすぎ」「飛ばなさすぎ」を交互に繰り返す――00年代・ボールとHRバッター変遷史

――日本のプロ野球の歴史は、よく飛ぶボールでホームランが量産される時期と、飛ばないボールによる投手戦メインの時期が繰り返されてきた。特に00年代以降は、この2年の統一球問題含め、変更の多い時代だ。ホームラン事情と共に、この10年余りのボールの変遷を追ってみよう。

【2001年~2004年】
近鉄ローズ、西武カブレラ、日本記録タイ55本達成
■最後の三冠王も生んだ“飛ぶボール”

[ボール事情]
日本プロ野球で使用されるボールの反発係数が定められたのは1981年から。それまではあまりにもボールが飛びすぎていた(80年は、セ・パ各130試合で合計2045本ものホームランを記録)。この頃は各球団が個別にボールを採用していたが、他社に比べよく飛ぶミズノ社製ボールを各球団が積極採用。ただしこれはこれでまた「飛びすぎ」と問題視され、05年からはミズノ社製の低反発球が8球団で採用された。

[ホームラン事情]
01年には近鉄(当時)のローズ、02年には西武のカブレラが55本を記録。年間合計本数も03年1987本、04年1994本を記録した。03年は40本以上が4人、30本以上が15人、20本以上が35人、04年は40本以上が8人、30本以上が16人、20本以上が36人と、ホームランが乱れ飛び。04年にはダイエー(当時)の松中信彦が、86年ロッテの落合博満以来の三冠王を獲得し、現在最後の三冠王となっている。


【2011年~2012年】
西武おかわり君だけが対応できた
■ファン大激怒の“飛ばないボール”

[ボール事情]
ミズノ社製の統一球が導入された最初のシーズン。反発係数を下限の0.4134に限りなく近づけた結果、2010年に1605本あったホームラン数が11年には939本、12年には881本と激減し、関係者やファンを震撼させた。その後、反発係数が基準値以下であったことが発覚し、ファン感情が震撼から激怒へ移行したというオマケ付き。

[ホームラン事情]
11年のセ・リーグホームラン王はヤクルト・バレンティン。31本という、1961年巨人・長嶋茂雄の28本以来の低い本数で獲得。一方のパでは、西武・中村剛也がロッテのチームホームラン数46本を上回る48本をマークし、統一球でもホームランは打てる!? との幻想を抱かせる。翌12年にはケガによる欠場の影響もあり27本でフィニッシュしたが、それでもホームラン王を獲得した。



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