キム・ソン(1976~79年/写真提供:Doug Niven)
キム・ソン(1976~79年/写真提供:Doug Niven)
ポル・ポト率いるクメール・ルージュ(赤いクメール)支配下の民主カンボジアでは、急進的な共産主義思想によって国民の5人に1人が死に追いやられたといわれている。1976年、ポル・ポト政権の治安警察・サンテバルがプノンペン郊外のトゥール・スレンに本拠を移すと、高校の跡地にS21という暗号名の政治犯収容所が造られた。2年9カ月の間に1万4000~2万人が収容され、そのうち生還したことがわかっているのは8人のみ。尋問センターでもあったこの収容所は、79年にプノンペンに侵攻したベトナム軍によって発見されるまで秘密裏に運営されていた。つまり入ったら生きて出ることのできない収容所だった。所長はカン・ケク・イウという中国系カンボジア人で、元は学校の教員。配下の看守たちには、まだあどけない10代の少年たちが数多くいた。