SNS隆盛の昨今、「承認」や「リクエスト」なるメールを経て、我々はたやすくつながるようになった。だが、ちょっと待て。それってホントの友だちか? ネットワーク時代に問う、有厚無厚な人間関係――。
『大人も知らない「本当の友だち」のつくり方』(講談社)
友だちがいることのありがたさは、友だちと一緒だと精神が解放されることだ。
別の言い方をすると、社会の中で生きている人間は、友だちとワンセットで行動することによって、初めて「自分」という個性を十全に発揮できるわけだ。
ということはつまり、逆方向からもう一度別の言い方で言い直すと、友だちのいない場所に放り込まれると、私たちは、往々にして、自然な、いつも通りの、ありのままの自分を見失ってしまうのである。
このことを初めて思い知らされたのは、小学校6年生になって、英語塾に通い始めた時のことだった。
私は、自宅から都電に乗って20分ほど離れた町にある、その道ではちょっと有名な塾の、中学1年生のクラスに編入した。ほかの子どもたちよりも1年早く英語を学ぶことによって、有利な条件で中学校生活をスタートせんと画策したわけで、してみると、私の母は、記憶の中にある姿よりはずっと教育熱心だったのだろう。あるいは、私自身が、自分で考えているより勉強家だったということなのかもしれない。
さて、初めての授業の最初の挨拶の後、私は、突然、全員の前で自己紹介を求められた。
「この子はタカシ君です。はい。自己紹介して」
と促された時、私は、普段の私でなくなっていた。
それというのも、その塾の「先生」は、私の母の従姉妹に当たる人で、私は、「先生の親戚の子」という、特別扱いから出発せねばならなかったからだ。
その時まで、私は、どんな局面であれ、「アガる」という精神状態を経験したことのない子どもだった。生徒会の役職に就いていた関係で、運動会のような機会に、全校生徒が校歌を斉唱する時には、指揮棒を持たされることもあったのだが、そういう場面でも、私は、毛ほども緊張しなかった。
音楽が得意だったから指揮を任されたのではない。私は、教師に度胸の良い子どもだと思われていて、その人前で物怖じしない性質を重宝がられるカタチで、さまざまな挨拶や先導役を任じられていたのだ。
もしかすると、私は、若干、嫌な野郎だったのかもしれない。その可能性はある。でなくても、私は、いつでも自信満々な、自分大好きの、小柄なジャイアンみたいな子どもだった。
ところが、その、物怖じしないはずの私の口から、なんと、言葉が出てこないのである。
「あれ? おかしいぞ」
と思っているうちに、焦りと緊張が込み上げてくる。顔が赤くなってくるのが自分でもわかる。私の顔を見つめている塾の生徒たちは、誰もが、近所の同じ中学校に通っている顔見知りで、始めから完全にリラックスしている。私だけが、離れた町からやってきた異分子で、しかも、一つ年下の小学生だ……。
結局、名前を言っただけで、挨拶は打ち切りになって、以来、私は、引っ込み思案な子どもとして、その塾では、「お客さん」扱いの存在になった。
最初の「赤くなって黙り込んでしまった」印象が、その塾での私の役柄を決定してしまったのだと思う。