黒人による黒人のための映画の進化 知られざるブラックムービーの世界

――1970年代初頭に産声を上げた“ブラックスプロイテーション”と呼ばれる映画ジャンル。アフリカ系アメリカ人をターゲットにつくられたこの映画は、人種差別問題や奴隷制度といった社会的問題をとらえ、あくまで黒人文化に根差した描写で映画業界から注目を集めた。以降、独自の進化を遂げ、ブラックスプロイテーションは大衆的に"ブラックムービー"と呼ばれるようになり、コメディや伝記ものなどジャンルは細分化、数多くのヒット作を生み落としてきた。そんな黒人映画が放つ魅力とはいったい何か。その変遷の内側を探る。

(写真/田中淳子)

 現在公開中の『大統領の執事の涙』【1】、これから公開となる『それでも夜は明ける』や『フルートベール駅で』【2】の3本の映画。すでに3作とも本国アメリカでは数々の映画賞に輝き、中にはオスカー受賞さえ期待されているものもある。そんなところにも表れているように、今現在ブラックムービーの波が再度押し寄せている。

 前述3本の作品より先に公開されたジェイミー・フォックス主演の西部劇映画『ジャンゴ 繋がれざる者』【3】や、初週興行収入でナンバーワンをマークし、最終的にも高成績を収めたロマンティック・コメディ『Think Like A Man』【4】の好調もあったが、この波は急に立ったわけではない。先に挙げたタイプの異なる5作品が次々に大きな話題を集めてきたのは、この1年半ほどの間のことだが、それ以前に下地は出来上がっていた(もっとも近いところでは、ゼロ年代半ばから今現在に至るまで、タイラー・ペリー監督(こちらの記事を参照)がコメディをメインに新作を発表するたびに大成功を収め、興行的に完全に一人勝ち状態だったが)。

 そもそも、ブラックムービーが最初に大きな注目を集めたのは1970年のことだった。一度はハリウッドに無視され、フランスで評価された黒人映画監督メルヴィン・ヴァン・ピーブルズの作品をフランス映画だと思い込み、興味を持ったハリウッドのメジャー配給会社が彼に撮らせた『Watermelon Man』(70年。カフカの小説『変身』風に、朝起きると白人が黒人になっていた話)が、興行的に成功。それを受けて、ハリウッドの名門MGMも黒人監督を起用した“黒い”映画の製作に乗り出し、『黒いジャガー』【5】が生まれた。黒人探偵が白人の組織に挑むこのアクション映画は、多くの黒人観客を集め、MGMを倒産の危機から救うほどの大ヒットを記録したのだった。その背景には、60年代に人種差別の解消を求める公民権運動が一応の成果を上げ、64年に公民権法が制定されたことが関与している。しかし、現実には人種差別感情に基づく黒人への暴力事件はあとを絶たず、黒人側としても「暴力を用いた非合法的な対抗手段に出ることも辞さない」という考え方が、マルコム・X(アメリカでもっとも有名な公民権運動活動家のひとり)やブラック・パンサー党(黒人解放運動を促した急進的な政治組織)の登場を経て、支持を集めていたという心情もあった。

 スクリーンの中で悪しき白人をこてんぱんにたたきのめす――そんなイケてる黒人俳優に多くの黒人観客が自己を投影し、胸のすく思いをしていたのは容易に想像がつく。そして『黒いジャガー』のヒット以降、空手家でもあるジム・ケリー、もともとはNFLの選手だった筋骨隆々のジム・ブラウン、スリーサイズが上から100cm/56cm/95cmという、ド迫力のボディを誇るパム・グリアといった、見るからに強そうな黒人のスーパーヒーロー/ヒロインが白人相手に大暴れしてくれる映画が(監督や脚本が白人によるものも含め)次々とつくられていった。

 主役に黒人を配し、黒人層から支持されれば大儲けは確実、言い方を変えれば“黒人を利用(エクスプロイテーション)”し、売り物にする。そこから、黒人が主演する映画は、「ブラック+エクスプロイテーション=ブラックスプロイテーション」という、少々否定的なニュアンスを含んだ造語で呼ばれるようになる。だが調子に乗って、「黒ければなんでもOK」とばかりに、『吸血鬼ブラキュラ』(72年。黒人版ドラキュラ)くらいは許せても、『Abby』(74年。黒人版エクソシスト)や『The Black Gestapo』(75年。黒人版ゲシュタポ)と、なんでもアリの悪ノリ状態へ突入し、ネタ切れ、登場人物のステレオタイプ化で飽きられ、ブラックスプロイテーション第一波は完全に引き潮を迎えるが、70年代に公開されたこれらの作品が、現在におけるブラックムービーの一種の基盤となっている。

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