中京大学とトヨタ自動車に支えられる最強・名古屋のフィギュアスケート事情

――ここ数年、フィギュアスケートは、名古屋の選手たちが常にメディアを賑わせている。伊藤みどりの時代から、この地域が変わらず優秀な選手たちを輩出し続けるのには、何か特別な理由があるのだろうか? ここでは、名古屋の選手たちを支える教育機関、スポンサー事情に追ってみたい。

名古屋市大須にある名古屋スポーツセンター。リンクには、伊藤みどり、浅田真央、村上佳菜子の垂れ幕などが飾られている。

 フィギュアスケートといえば、名古屋のクラブ出身の有名選手が多いことで知られている。現在開催中のソチ五輪においても、浅田真央、鈴木明子(出身は豊橋市)、村上佳菜子と、女性選手は全員が名古屋勢だ。また、代表の最終選考まで残っていた安藤美姫、小塚崇彦も名古屋出身。古くは伊藤みどり、鍵山正和に始まり、恩田美栄や中野友加里らも、名古屋のクラブから輩出されてきた。

 しかし、名古屋の気候を考えると、特別ウィンタースポーツ向きの地域というわけではない。

「実は愛知県は、北海道を除くと、スケートリンクの数が多い地域のひとつなんです。競技の練習ができる、もしくは大会ができる規模のリンクは、名古屋スポーツセンター、邦和スポーツランド、モリコロパーク アイススケート場、日本ガイシスポーツプラザ、アクアリーナ豊橋、そして中京大学アイスアリーナと、6つあります。同時に、伊藤みどりさん、浅田姉妹、村上佳菜子選手が所属したグランプリ東海クラブをはじめ、安藤美姫選手が所属した名東フィギュアスケーティングクラブ、鈴木明子選手が所属する邦和スポーツランドと、フィギュアスケートのクラブも多数存在している。それらのチームは、どこも一般のお客さんが入れるリンクで練習をしていますから、有名選手を間近で見ることができるという環境が、次の選手育成にもつながっているのではないでしょうか」(名古屋スポーツセンター・栗田宏氏)

 名古屋におけるフィギュアスケートの歴史は、1948年、赴任先の満州でフィギュアと出会った小塚選手の祖父、故・小塚光彦氏が、愛知県スケート連盟を設立したことに始まる。53年に名古屋スポーツセンターのリンクが開設されると、このリンクで光彦氏は、後に伊藤みどりや浅田姉妹を指導する山田満知子コーチ(グランプリ東海クラブ)、安藤美姫を育てた門奈裕子コーチ(名東フィギュアスケーティングクラブ)らの指導に当たったこともあるという。さらに同氏は、当時東西冷戦中であったフィギュア大国・ソビエト連邦(現・ロシア)から選手を来日させ、「日ソフィギュアスケート」を実現。元ソ連スケート連盟会長・バレンチン・ピセフ氏は後に、「光彦氏がいなければ今の日本のスケートはなかった」とも語っている。そして、同士の愛弟子である山田、門奈両氏のもと、現在まで多くの有名選手が輩出されてきた。

「中学生だったほんの7年前までは、浅田選手もこのリンクで一般の方と一緒に滑っていました。村上選手にいたっては、いまだにふらっと現れることがあるくらいです」(前出・栗田氏)

 さらに、選手たちが世に出ていくにつれ、学校機関がそのサポート環境を整えていったことも大きく作用しているという。

「伊藤さんの頃は、(前述した)名古屋の文化的背景もあって、東海学園がフィギュアスケートの選手を積極的に迎え入れていました。選手たちの活動に、寛容に対応してきたんです。それが、安藤選手の頃になると、中京大学附属中京高等学校、中京大学も力を入れはじめ、昨今では、愛知みずほ大学瑞穂高等学校なども積極的に受け入れを行っていると聞きます」(同)

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