取り調べを可視化できない日本だけの"本当の理由"

法と犯罪と司法から、我が国のウラ側が見えてくる!! 治安悪化の嘘を喝破する希代の法社会学者が語る、警察・検察行政のウラにひそむ真の"意図"──。

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取り調べ可視化“骨抜き”へ
2013年11月7日に開かれた法制審議会の刑事司法特別部会において法務省は、裁判員裁判事件を対象に、容疑者の取り調べの全過程の録音・録画を義務づける案などを提示。ただし、容疑者が拒否した場合や報復を恐れて十分に供述できない場合など多くの例外を規定。村木厚子厚生労働事務次官ら全面可視化を求める委員から異論が続出、新聞各紙からも強い批判を浴びた。

「取り調べ可視化、骨抜きに」

『取調べ可視化論の展開』(現代人文社)

 2013年11月上旬、新聞各紙にこのような見出しが躍りました。警察・検察による被疑者への取り調べの様子をビデオカメラなどで録画・録音する「取り調べ可視化」は、法制審議会の刑事司法特別部会で議論の大詰めを迎えていた。そして同年11月開催の同部会において法務省が提示したのは、原則として可視化を義務づけるものの例外を設ける案と、取調官の裁量に委ねる案の2つ。どちらも警察・検察側の主張に沿った内容であり、新聞各紙は、「例外を認めたり取調官に裁量権を与えたりすれば、捜査側の都合のいいように運用されるおそれがあり、可視化の意味がなくなる」などとして、これを批判的に報じたわけです。

 しかしながら私は、取り調べ可視化が「骨抜き」にされたことを、むしろよかったと思っている。その理由についてはおいおい説明しますが、まずはそれを理解する上で必要な知識として、戦後から現在に至るまでの日本における「可視化論争」の流れを確認しておきたいと思います。

 取り調べを可視化するという発想は、我が国においては冤罪をなくすための方策として生み出されました。その端緒となったのが、終戦直後から195 0年代にかけて、日本でたびたび発生した冤罪事件です。中でも、死刑確定ののち30年以上の歳月を経て80年代に再審無罪となった、48年の免田事件、50年の財田川事件、54年の島田事件、55年の松山事件の4つ、俗にいう“四大死刑冤罪事件”は、人権派弁護士などの支援を得て、冤罪防止を求める世論を大いに喚起し、警察・検察・裁判所・マスコミに反省と変革を強く促しました。結果、尋問時間の短縮や自白偏重の姿勢の見直しなど、取り調べの方法や司法側の意識はある程度改善され、冤罪防止に関する世論の盛り上がりは一旦収束します。

 冤罪防止に対する社会的関心が再び高まったのは、それから20年以上も後のこと。村木厚子厚生労働省元局長らが、障害者郵便制度を悪用したとして逮捕されたものの、実はその裏で、大阪地検特捜部の主任検事が、証拠物件のフロッピーディスクのデータを改ざんしていたという、前代未聞のあの事件がきっかけでした。捜査側による捏造の決定的証拠が戦後初めて白日のもとにさらされたこの事件によって取り調べ可視化は、一躍、刑事司法改革の目玉となったのです。もちろん、同時期に再審で無罪が確定した足利事件や布川事件などが、それを後押ししたことはいうまでもありません。

 一方、そうした日本国内の歴史的背景もさることながら、80年代以降、イギリスやアメリカの一部の州が相次いで取り調べのビデオ録画等を導入したことも、日本における可視化論争に一定の影響を及ぼしました。これについても後ほど詳しく述べますが、英米と日本とでは、刑事司法をめぐる環境が著しく異なるにもかかわらず、英米の取り調べ手法のごく一部だけを表面的に取り入れようとしたのです。

 日本において取り調べ可視化の問題はこのように、あくまで「冤罪の防止」という観点から俎上に載せられ、近年、再度注目を集めるようになった。とすれば当然、取り調べの様子を録画なり録音なりすることが、冤罪防止策として有効でなければ意味がないことになります。ところが、日本の刑事司法の実情と照らしたとき、少なくとも取り調べをビデオカメラで撮影・録画するという行為は、メリットよりデメリットのほうがはるかに大きい。このことを理解していただくために、日本の取り調べの実態と、それが刑事司法のシステムにおいて実質的に担っている役割について解説しましょう。

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