土手焼きを作る――「土手」という言葉にこだわりすぎた私は人生最大の難所にさしかかったのだった

――上京して数十年、すっかり大坂人としての魂から乖離してしまった町田康が、大坂のソウルフードと向き合い、魂の回復を図る!

photo Machida Ko

 午前と午後、どちらが仕事が捗るかというと午前の方が捗る。なぜかというと午前中は世間がまだ動き出しておらず、世間に煩わされることなく没頭できるからである。なので私は午前の、それも早い時間に仕事を始め、午前十時頃には仕事を終えることにしている。

 目が覚めると余のことはなにもしないで直ちにノートパソコンに向かい、それが終わって漸く、世間の人がする、朝飯を頂戴する、新聞を読む、といったようなことをするのである。

 しかしこの日は違った。私は目を覚ますなり、冷蔵庫に向かい、ドアーを開けて件のバットを取り出した。起きるなり私は土手焼きのことを考えた。いや、というか眠っている間もずっと土手焼きの夢を見ていた。

 私はバットを流し台に置き、何百年も秘仏とされていた仏像の封印を解くような気持ちで、何重にも巻かれたラッピングフィルムを剥がし始めた。

 そしてあらわれた串刺しの肉のなんと見事だったことか。

 その出来映えはまるで本職の土手焼き職人が拵えたかのようだった。

 十年年季を入れた職人と始めたばかりの素人の間には越えることのできない高い壁がある。私はそれを狂気のジャンプ力で飛び越えたのだ。なんという凄いこと、なんという偉業を成し遂げたのだろうか。もうここまできたらトイレなんか行かずにジャアジャア放尿しても許されるのではないか。

 と、そんな風にも一瞬、思ってしまったが、いかんいかん。まだ、土手焼きは完成していない。というか、まだ、なんらの味付けもなされていない素材の状態なのだ。ここからが本格的な勝負であって、ここまではできてあたりまえの基礎の基礎なのだ。ジャアジャア放尿なんてとんでもない話で、もっと精神を引き締めていかなければならない。というか、ジャアジャア放尿したところでなんのメリットもないし、第一、私はそんなことはしたくない。私がしたいのは大坂の魂を取り戻すこと。それだけだ。

 というわけで私は、牛すじ肉を焼くというか煮込む作業に取りかかった。

 まずは。瓦斯焜炉のうえに件のバーベキュー用の鉄板をおいた。短い方の辺が二十四センチ、長辺が三十七センチ、立ち上がりは二センチあるが、四十五度傾いているので、高さは一・四センチである。

 この鉄板に白味噌を盛り、篦で堤を拵えた。堤=土手、という訳である。私は、この土手の内部に出し汁を張り、酒や味醂を入れ、そのなかに串刺しになった牛すじ肉を入れ、熱と脂分と水分によって少しずつ、白味噌を焼きつ溶かしつ、焼く。これすなわち、土手焼きなり、という目算を立てていたのである。

 ところがこの目論見がたちまち頓挫した。というのは、鉄板のぐるりに堤を築こうとするなれば白味噌六〇〇瓦では到底足りず、少なくともその四倍、すなわち、二・四瓩は要りそうに見えたのである。勿論、気が狂っている私にとってそれを買いに行くことくらい造作のないことだったが、しかし、どのように考えても一瓩のすじ肉に対して二・四瓩の味噌は多すぎ、そんなことをしたら肉を食べているか味噌を食べているかわからなくなってしまう。

 そこで私は鉄板の中央部に、楕円形に堤を拵えた。串で言えば、四本か五本、それくらいしか入らない小規模な堤である。それでも三百瓦がとこ味噌を使った。その堤の内側に三百cc程度の出汁を満たし、酒を大匙四杯、味醂を大匙四杯、砂糖を大匙二杯投入のうえ、そこへ串刺し肉を入れた。

 ところが意外なことが起きた。

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