疲弊する我らがエロ本業界でスカトロ雑誌はいかに戦うべきか!?

――70~80年代には多くのサブカル系文化人を輩出したエロ本業界が今、壊滅の危機に瀕している。その中でも"極北"に位置するスカトロ専門誌の雄「お尻倶楽部」の新旧編集長と、そんなスカトロ業界をこよなく愛する哲学教授が、スカトロ業界の、いやいや、愛すべき我らがエロ本業界の行く末をめぐって徹底討論!!

下は、93年に発行された「お尻倶楽部」の記念すべき創刊号。左上は最新号である14年1月号。右上は別冊ムック「女の子の肛門写真集 2014上半期版」。

 雑誌不況が言われて久しいが、その中でも長きにわたって苦境にあえいでいるのがエロ本業界だ。「スコラ」【1】「オレンジ通信」【2】など、かつて一時代を築いた有名エロ雑誌が次々と休刊、近年では“三大コンビニエロ本版元”とも呼ばれたコアマガジン、サン出版、そしてミリオン出版を擁する大洋グループが大胆なリストラを敢行、話題をさらったことも記憶に新しい。

 そもそも出版流通で扱われるエロ本は、販売ルートによって2種類に大別される。1つは、コンビニ書棚の成人誌コーナーを主戦場とした“コンビニ売り”と称される一般的なエロ雑誌。もう1つが、内容のエグさゆえに街の書店やアダルトショップでしかお目にかかれない、“書店売り”と呼ばれるマニア向けエロ雑誌だ。どちらも苦戦を強いられていることに変わりないが、コンビニの成人誌コーナーが急速に縮小しつつある今、コンビニ売りエロ本が大きく売り上げを落とす一方で、書店売りのエロ雑誌は、細々とではあるがなんとか命脈を保っている。

 そこで、そんなエロ本業界の未来を考えるべく、投稿SM専門誌「マニア倶楽部」【3】など書店売り雑誌を中心に発行するエロ本業界の老舗・三和出版から、エロジャンルの極北ともいえるスカトロ専門誌「お尻倶楽部」【4】の初代編集長・東本満氏、そして現編集長・舟山眞雄氏を招いて話を聞いた。

 93年に創刊された「お尻倶楽部」は、“肛門愛専門誌”を自称する隔月刊誌。13年12月発行の14年1月号で、通巻127号を数える。最新刊の表紙には、恍惚の表情で自ら右手を肛門に押し入れる制服姿の少女。巻頭のカラーグラビア「スカトロ耽美館」から、制服美少女とリアルウンコとが織り成すめくるめくスカトロワールドに圧倒される。ほかにも、読者の投稿写真ありマニアDVDレビューあり読み物ページあり……。その厚さは1センチを超え、240分の付録DVDが付いて2500円という高価格ながら、その方面のマニアには知られた超有名雑誌である。

 先述の2人に相対するは、本誌ではおなじみ、和洋女子大学で美学・倫理学の教鞭を執りながら、危険を省みず(?)「スカトロマニア」を公言する三浦俊彦氏。さてさて、究極のマニア雑誌の編集長、そしてその愛好家から見たエロ本業界の過去、現在、そして未来とは?

三浦俊彦(以下、三)「お尻倶楽部」さんと僕とは、浅からぬ縁があるんですよね。以前、僕が教鞭を執る大学の卒業生がお世話になって。アート活動の一環として彼女が撮影したスカトロ系の映像作品を、御誌に取り上げていただいたんですよね。

東本満・初代編集長(以下、東) 当時、先生はまだ助教授でしたね。

 ええ。僕も顔の下半分だけ誌面に出ましたけど(笑)。彼女はスカトロを文化論的に考察して卒論を書いた女子学生で、変わった子でした。さて、そんな「お尻倶楽部」の創刊はいつでしたっけ? 専門誌としてはもっと以前にも、80年代の「スカトピア」【5】「THEウンコ」【6】あたりのビニ本があったと思うんだけど。

 我々の創刊は93年1月ですね。それ以前に僕はSM系投稿誌「マニア倶楽部」の編集部にいたんですが、その別冊として出した「A感覚特集号」が好感触だったのと、あとは単純に自分自身がこっち方面が好きだったのとで、一ジャンルに特化した雑誌として企画したんです。

舟山眞雄・現編集長(以下、舟) 僕はその頃はまだ学生で、読者として「A感覚特集号」を読んで「こんなすごい世界があるんだ」って感銘を受け、勢いでそのまま入社しちゃった(笑)。でも、最初からコンセプトは「ウンコ」だったんですか?

 もちろんスカトロは入れようと決めてた。ただ、SMの文脈で描かれるスカトロ表現って、女の子が苦悶に満ちた表情で浣腸を受け、強制排泄させられる──みたいなイメージが強いでしょ? だから「お尻倶楽部」では、「マニア倶楽部」との差別化のためにも、極力「にっこりウンコ」を心がけてた。要するに、女の子が笑いながら振り返って自然排泄する、というね。浣腸で出したドロドロのウンコよりも、お尻の穴からいま出てきたばかりの適度な硬さの自然便を見せたいと。

 確かにそう! スカトロマニアにとって、ウンコが肛門から離れる瞬間を捉えた、ウンコと肛門の接点がきちんと見えている写真は極めて重要な意味を持っていますからね。

(笑)。特に初期は、浣腸ナシの徹底ぶりに驚いた。入社3日目ぐらいのとき、早朝に出社したら、編集部の隅にものものしい雰囲気の撮影隊がいるんです。話を聞いたら、前日が撮影日だったんだけど女の子がウンコを出せなかったから、ホテルに1泊させて、食事させて撮影再開したという(笑)。まあ要は、それぐらい時間もお金もかけてクオリティの高いものを撮ろうという空気がありましたよね。当時はインターネットがないので「私の恥ずかしい姿を撮ってください」なんて電話がたくさんかかってくるんですが、編集部のほうも、撮らせてもらえるなら地方だってどこだって行くという考え方で。1冊出しさえすれば、お金はあとから何倍にもなって戻ってくるという感覚でしたよね。

 最初はスカトロ自体の認知度も低かったから、企画を立てても、撮影できるモデルを探すことから始めなければいけなかった。ヌードモデルを扱う事務所のマネージャーと仲良くなって、いかにうまく口説き落としてもらうかが重要になる。

 スタジオを借りる目的も「スカトロだ」なんて言えないしね。撮影時も、合言葉は「入ったときよりきれいにして帰ろう」で、撮影後はウンコのニオイが残らないように消臭剤を大量にまいて帰るっていう。それでもバレて出禁になったことも。

 まあ、“物証”が残るからね(笑)。

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