土手焼きを作る――その高まりは私を狂人にするのであった

――上京して数十年、すっかり大坂人としての魂から乖離してしまった町田康が、大坂のソウルフードと向き合い、魂の回復を図る!

 土手焼きを作る。そう決意してから一カ月が経ったがいまだ、土手焼きを作らないでいる。といって土手焼きのことを忘れたわけではない。頭のなかではつねに、土手が紅蓮の炎に包まれて燃えている。焼きたくってたまらない。ではすぐに焼けばよいではないか、てなものであるが、なかなかどうしてすぐには焼かない。

photo Machida Ko

 なぜか。それは自分の気持ちを土手焼きに向けて限りなく高めていくためである。土手焼きを作りたい。そんな程度ではもちろん駄目で、土手焼きのことを思い詰めるあまり、端から見たら狂人としか思えない。というくらいに土手焼きのことを考え続け、もはや、土手焼き病、というくらいにならなければならない。

 なぜか。失敗をしないためである。「ははん。土手焼きでも作ってみよかな」くらいの軽い気持ちで事に当たれば間違いなく失敗するからである。というか、重い気持ちで事に当たっても失敗をするのである。

 ではどうすればよいか。右に言ったように、自分自身が土手焼きとなってしまうくらいの気持ちで事に当たらなければならない。そうなるまで土手焼きを作ってはならないのである。

 というわけで私は土手焼きに向けて気持ちを高めていった。ただでさえ高まる気持ちを意図的に高めるのだから、気持ちがムチャクチャに高まり、気持ちが天窓を突き破って頭と言わず顔と言わず血まみれになった。その血まみれの顔のまま、自ら考案した、すじ肉踊り、という踊りをぶっ倒れるまで踊った。そして気がつくと真夜中で、土砂降りの雨の中、号泣しながら見知らぬ土手をよじ登っていた。土手下には汚らしいバラックが土手にへばりつくように建ち並び、養豚の匂いが立ちこめていた。ぶひいいいいいいっ。きいいいいいいいいいいっ。という豚の絶叫が聞こえていた。その音が頭のなかに入ってきて藤の花になった。頭が藤の花で一杯になり、ふわふわしてものが考えられなくなった。耳や鼻から藤の花が湧き出てきて、顔全体が花になり、目も耳も聞こえなくなった。手もなくなった。足ももげた。気がつくと濁流に流されていた。濁流は味噌のような色をしていた。味噌のような濁流に身体がどんどん溶けていって、私は意識だけの存在となったが、その意識も次第に途切れ途切れになり、三度目に気がついたとき、私はひっくり返したバケツの上に弥勒菩薩半跏思惟像と同じ恰好で座っていた。両の手にはなぜか出刃包丁と菜切包丁が握られていた。何時間そんな恰好で居たのか見当もつかない。ただ、天窓は確かに破れていたし、顔面には乾いた血がこびりつき、全身、泥まみれだった。

 気持ちが高まった挙げ句、こんなことになるのは間違いなく狂人である。

 ということは、私は土手焼きを作ってよい、ということになる。

 よし。作ろう。土手焼きを作ろう。作ろう。作ろう。ああああああああああああああっ。

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