――「men’s egg」が休刊を発表した。ギャル男カルチャーを牽引した同誌の休刊は、その埒外にいる人にも驚きを与えたが、ギャル男の当事者で在り続けた男は、この時勢をどう見ているのか──。
(写真/磯部昭子 A/M)
植竹拓、通称「ピロム」。まだ治安が悪かった90年代から渋谷の街に通い始め、「ギャル男」カルチャーの代名詞だった雑誌「men’s egg」(大洋図書)の創刊当初から読者モデルとして活躍。野性的なルックスとコミカルなキャラクターで脚光を浴び、後にクラブDJやアパレル会社社長としても渋谷のギャル男カルチャーを牽引し続けた男である。
今年10月に発表された「men’s egg」の休刊、再開発で形を変えていく渋谷――ギャル男を取り巻く環境は、かつてと変わりつつある。この街のカルチャーの灯火が消えようとする今、ピロムは何を思うのか? まさに「ギャル男の終焉」と副題がつけられた自伝『渋谷と呼ばれた男』を上梓したばかりの彼に、話を聞いた。
「本の出版と『men’s egg』休刊のタイミングがカブって、いろいろ取材依頼が来るんですよね。『men’s egg』の休刊で仕事が増えたのは俺くらいですよ(笑)。カブったのはまったくの偶然で、宿命というか使命感がすごくある。いろんなメディアに出させてもらえるので、これもひとつのきっかけにして、また渋谷の街を盛り上げていきたいんです。言ってしまえば、"アキバ"に勝ちたい。今は明らかにアキバのほうが盛り上がってますよね。外国からの旅行者は『渋谷よりアキバ』って感じじゃないですか、電気街やアニメもあるし。渋谷はスクランブル交差点くらいしか、観光客が写真撮ってる場所がない」