――いまや日本だけでなく世界でも有数のアニメスタジオとなったスタジオジブリだが、そんな同社を支えてきた巨匠・宮崎 駿を始め、同じく大監督の高畑 勲、豪腕プロデューサー・鈴木敏夫などの面々も高齢に差し掛かり、長らく後継者問題に揺れているが……。
(絵/我喜屋位瑳務)
「『どうせまた』と思われているが、今回は本気です」
去る9月6日。アニメ映画監督の宮崎 駿が長編映画制作からの引退を表明した。集まった報道陣は600人。会見は1時間半に及び、時にジョークを交えながら質疑にも応じた。通算5度目、3年ぶりの引退宣言である。
御年72歳――。引退の理由を「年齢による衰え」とした宮崎氏だが、会見で「やりたいことはあります。やれなかったらみっともないので言いません」と、今もって鼻息は荒いご様子。時を前後して宮崎氏が最後の監督作として挑んだ『風立ちぬ』は、昭和初期のゼロ戦開発者の若き日を描き、結果、興行収入100億円を突破した。
いったい、宮崎 駿とは何者だったのか? 本稿では、総資産186億円(13年3月末現在)の企業取締役でもある彼と、彼が築いてきたスタジオジブリ(以下/ジブリ)の「光と影」について、関係者の証言を交えながら迫るとしよう。
宮崎 駿の引退宣言は人件費を賄う戦略?
「今回の引退劇は、これまでの28年のジブリ史上、最もよくできた宣伝です」
建設前に三鷹市で反対運動が起きたジブリ博物館。
こう断言するのは、アニメ業界関係者A氏だ。というのも『風立ちぬ』は、これまでの同社作品とは違い、公開当初「子どもが飽きて泣きだしている」と言われるほど、大人向けな作品。監督自ら公開に先がけ、「後の世から(戦争を)断罪するのは簡単。みな、あの時代の空気を肌で感じようとしていない」と発言していることからもわかる通り、本作で宮崎氏は、戦争に加担した実在の人物の苦悩を描いている。
「とにかく映画館に足を運んでほしい。そのための話題づくりとして、宣伝担当の鈴木敏夫プロデューサーは、映画が後伸びするように、『宮崎駿の引退作』という作戦で勝負に出たようだ。まず手始めに海外(ベネチア)で引退を発表(9月1日)し、日本での記者会見を後日(同6日)開くことで、マスコミやファンの期待感を煽ったんです。いわば、二段重ねの引退劇です」(同)
鈴木氏が、こうした奇策に打って出たのには、訳がある。
「ジブリはアニメ業界では珍しく、約300人の社員をすべて正社員として抱え、福利厚生の手厚さも有名です。人件費だけでも毎月億単位でかかるようです。一月2億円と仮定し、単純計算して1年で24億円、2年で48億円……。DVDやイベントなどの権利ビジネスの副収入があるとはいえ、毎回、最低100億円の売り上げを作らないと採算が合いません。是が非でも、制作に5年かかったという『風立ちぬ』をヒットさせる必要があったわけです」(同)
話を聞く限り企業体として、この戦略に眉をひそめるポイントはない。しかし、宮崎アニメは業界の常識をはるかに超える売り上げを持つだけあって、彼の引退が意味するところは大きい。カリスマを失った日本一のアニメ工房の未来は明るいのか?