――数々の芸能スクープをモノにしてきた芸能評論家・二田一比古が、芸能ゴシップの“今昔物語”を語り尽くす!
『ベスト・コレクション』(ワーナーミュージック・ジャパン)
"半年も表舞台に出ないとすぐ忘れられる"というのが定説の芸能界。だが、休業して2年7カ月が経つも、今だに忘れられることがない歌手、それが中森明菜である。先日、TBSの名物番組だった『ザ・ベストテン』の生みの親・山田修爾氏の通夜・告別式でも「明菜が列席するのでは」との情報が芸能マスコミに流れたが、現れることはなかった。
「お世話になった方ですし、明菜も焼香したい気持ちがあったのですが、関係者に"混乱するから遠慮したほうがいい"と説得され自重した」
知人の芸能記者は、筆者にこう語ってくれた。明菜の一挙一動が芸能界に影響与える。それほどの存在感ともいえるだろう。
二男四女の大家族で上から5番目の明菜は、母親の影響から歌手を目指す。81年、日本テレビのオーディション番組『スター誕生』に3度の挑戦で合格。翌年、シングル「スローモーション」で歌手デビューを果たす。
アイドルは歌のうまい下手は二の次。アイドルとしてのビジュアル的な部分が優先される時代に、明菜の歌唱力は光っていた。加えて奇抜なメイクやスタイリングなど、ビジュアル面を含めた斬新なアイデアで、数々のヒット曲を飛ばし、スター歌手となった。
順風満帆だった歌手生活に大きな運命が訪れる。マッチこと近藤真彦との恋だった。写真誌のスクープにより発覚したトップアイドル同士の熱愛。アイドルの恋愛は暗黙のうちに禁止されていた時代である。ましてやアイドル同士となれば、芸能界は絶対に認めない。当人たちも意識があったかのように、マッチはバイクにフルヘルメットで顔をすっぽり隠して明菜の部屋に通っていた。2人の口から決して公になることはなかったが、芸能マスコミは、2人の動向を常に注目していた。しゃべらない2人に代わってメディアが攻めたのは親だった。比較的、規制の緩い明菜の実家に、メディア攻勢は集中した。
明菜の実家は東京郊外のごく一般的な二階建ての家。筆者も何度か足を運んだが、なぜかいつも日本国旗が掲げられていたのを覚えている。家族の口は固い。母親は気性が激しく、マスコミと衝突することも度々あった。消火器を振り回しマスコミ退治する場面が記事になったこともあった。取材は父親に向いた。
埼玉県で中華店を経営していた父親。客としてラーメンを食べに行き取材する。実家がお店をやっている場合、お店の宣伝になるからか、親との接触は容易であり、応じてくれるケースは少なくない。ちなみに、大原麗子の実家は都内の和菓子店。いしだあゆみの実家は大阪で喫茶店をやっていた。
実家に行ってもそうそう核心となる話は取れないが、そこは営業マンと同じ。何度も通ううちに顔馴染みとなり、心もいくらか打ち解けてくる。そこから身内の貴重な話が取れる。“明菜の父親番記者”を置いていた週刊誌もあったほどだ。
「アイドル同士だから周囲からの反対で自然消滅するだろう」と見られていた明菜とマッチだが、2人の仲は確実に進展していた。
そして、起きたのが明菜の自殺未遂だった。
留守中のマッチのマンションで左手首を切った。幸い大事には至らなかったが、当時の芸能界には大きな衝撃が走った。順調な交際なら自殺未遂などしない。2人の仲はかなり煮詰まっていたことが容易に想像ついた。当時、2人を知る芸能関係者から「明菜はマッチとの結婚を望んでいたが、マッチに本気で結婚する気があったかは疑問。思いつめた明菜が自殺を図ったのだろう」と語っていた。
事態の大きさに明菜の回復後、初めてツーショットで会見。一件落着に見られていたのも束の間、2人は破局を迎えた。「明菜は会見が婚約の場と思ったが、マッチにはその気はなかった」(芸能関係者)という証言が多数を占めた。さらに、「明菜は結婚した時の新居の資金としてマッチに8000万円渡していた」という話まで真しやかに伝わっている。
マッチとの悲恋はその後の明菜の人生を大きく変えた。かつて所属していた大手事務所・研音を辞め、個人マネージャーの下で仕事をするもテレビの仕事は激減。仕事はコンサートが中心になっていた。
私生活も荒れていた。著者は一時、個人マネージャーをしていたE氏と親交があった。元六本木の黒服で明菜と付き合ううちにマネージャーを指名されていた男の印象的な話を紹介しよう。
「荒れていました。突然、灰皿を投げたり、ホテルの部屋をめちゃくちゃにしたこともありました。普段はとてもいい子ですが、感情の起伏が激しい人でしたから、扱うのは大変でした」
ウォッカなど強いお酒に激辛料理。歌手の生命線である喉を痛める。「以前のような美しい声が出ていない」と誰もが気付いていたが、明菜のファンは多い。明菜の姿と歌を聴けるだけで、コンサートは常に満員だった。
今回の長い休養は「帯状疱疹」と喧伝され、今は回復に向かい、「復帰に備えてトレーニングしている」と伝えられているが、復帰できるかどうかは、周囲のサポートと明菜の気持ち次第という。アイドル出身のなかでも特筆した歌唱力とヒット曲を持つ明菜。往年のファンが復帰を望んでいるのは間違いない。
ふただ・かずひこ
芸能ジャーナリスト。テレビなどでコメンテーターとして活躍するかたわら、安室奈美恵の母親が娘・奈美恵の生い立ちを綴った「約束」(扶桑社刊)、赤塚不二夫氏の単行本の出版プロデュースなども手がける。青山学院大学法学部卒業後、男性週刊誌を経て、女性誌「微笑」(祥伝社/廃刊)、写真誌「Emma」(文藝春秋/廃刊)の専属スタッフを経て、フリーとして独立。週刊誌やスポーツ新聞などで幅広く活躍する。現在は『おはようコールABC』(朝日放送)、『今日感テレビ』(RKB毎日放送)などにコメンテーターとして出演。