歴史は繰り返す――藤圭子が陥った過去の呪縛と本当の家族との関係

――数々の芸能スクープをモノにしてきた芸能評論家・二田一比古が、芸能ゴシップの“今昔物語”を語り尽くす!

『藤圭子 ベスト・ヒット 昭和歌謡を歌う』(Sony Music Direct)

 芸能界に衝撃が走った歌手の藤圭子(享年62)の自殺。近年は宇多田ヒカルの実母として有名であったが、既報の通り、その運命は数奇なものだった。

 近況をまとめておくと、2007年に宇多田照實氏と離婚。その後消息不明に近い状態だった藤圭子は密かにニューヨークから帰国。30代後半の男性と六年前から同居していた西新宿の高層マンション13階から投身、自らの命を絶った。

「帰国したはいいが、浦島太郎のような状態だったのでしょう。連絡を取れる知人もおらず、特にすることもなければ話し相手もいない。お金があっても孤独を埋めることはできなかったようです。ひとり娘の宇多田ヒカルと過ごすことができれば、孤独になることもなく、寂しくもなかったはず。自殺などすることはなかったと思う」と旧知の音楽関係者は無念の言葉を筆者に吐いた。

 遺書がないことから突発的な自殺だったと思われるが、都会の孤独死ということだろうか。

 岩手県一関市で生まれた藤圭子。浪曲師の父と三味線を弾く母と一緒に地方を転々とする流しをして生計を立てていた。あの独特なハスキーボイスは父親の影響もあったという。北海道で歌っているところをスカウトされ、貧しさから脱するために入った芸能界。

「当時の歌手は宣伝にお金をかけるわけにいかなかった。”手売り”と言って自ら夜の街を歩いてレコードを売り歩くのが基本。今も手売りしている演歌歌手はいますが、中にはCDを1万枚売る人もいるくらいです。そうした地道な活動がヒットに繋がることもある」(音楽関係者)

 新宿の街を精力的に売り歩き、大ヒットしたのが69年にリリースされた『新宿の女』だった。以後、空前のヒットになった『圭子の夢は夜ひらく』(70年)など話題作を連発、大物歌手の仲間入りを果たした。71年には、同じく歌手の前川清と結婚したが、翌年離婚。暗い過去を背負った詩と独特の歌い方は「怨歌」と呼ばれ、下層階級の人の支持を受けた。当時、スタッフからこんな話を聞いたことがある。

「歌っている人の人生を投影させるかのような歌詞ですから、そのイメージを守らせるべく、藤には普段から余計なことはしゃべらせないようにさせていた。暗い歌を歌っている人が、明るくて幸せな生活をしていたらイメージが違ってくる。本当は明るくておしゃべりな子でした」

 芸能界は虚像を売る世界。歌っている時は本名の阿部純子ではなく、あくまでも歌手の藤圭子を演じていたわけである。

「どんなに売れて儲かってもやがて虚像を演じている自分に疲れてくる」(同)のが歌手の本音。後に藤は「もう私は藤圭子ではない。阿部純子です」と引退宣言したことがある。虚像でいる自分に疲れたのだろう。

 ニューヨークに渡米したのも、本来の自分の姿に戻って自由に生活したいという思いから。そして82年、宇多田氏と再婚。宇多田ヒカルが誕生した。

 母親の遺伝子を受け継いだヒカルは天才歌姫として一世を風靡。阿部純子として本当に幸せな時間だったと思う。その幸せも束の間——。歌手・ヒカルの出現は皮肉にも藤さんの人生を大きく狂わせることになった。親子3人でスタートした宇多田ヒカルの個人事務所。旧知の芸能関係者は、こう話す。

「本来なら大手事務所に入りバックアップしてもらいヒカルを売るはず。実際、ヒカルを獲得すべく複数の芸能プロが動いていたが、芸能界の裏まで知り尽くしている藤のこと、芸能界のしがらみに娘を巻き込みたくないという思いから拒否したのでしょう。親元ならヒカルを自由に歌手活動させることができる。だからニューヨークに拠点を置いていた」

 ヒカルは爆発的に売れた。娘の稼ぎ出した莫大な金が親子3人の元に入る。藤は役員報酬として得た大金を持ち歩き、ファーストクラスの飛行機を乗り回しホテルはスイートルーム、という浪費家となった。後に「5年で5億円は使った」と豪語している。09年にはケネディ空港で五億円近い現金の入ったバッグを没収される事件を起こした(後に返却)。娘の稼ぎだした大金が藤の人生を狂わせたと言っても過言ではない。

「貧乏から脱出するために大金を稼いだ藤は、人を信頼しない面があり、銀行も信用せず、常に現金を持ち歩いていた。でも、お金はあるけどやることがない。結果、カジノで豪遊する日々。一度で1億円負けたこともあったそうです。そんな母親の姿を知るに至りヒカルは母親と距離をおくようになり次第に疎遠になっていった。母親が変わってしまったことを嘆いていたのだと思います」(音楽関係者)

 それは藤自身も経験していたことである。

「藤が歌手として大成するや、父親は稼いだ金を博打に使っていた。藤のそばで面倒を見ていた母親がそんな夫に愛想尽かし離婚している。今の藤と娘ヒカルとの関係に似ています」(ベテランの音楽関係者)

 なんとも不思議な母子の因果を感じる。

 10年から“人間活動”のために休業しているヒカル。その裏には音信不通になっていた母親を探すためとも言われているが、再会は叶うことがなかった。娘にも会えず、藤が寂しさを紛らわすものは、『新宿の女』がヒットした新宿のネオンだけだったのかもしれない。

ふただ・かずひこ
芸能ジャーナリスト。テレビなどでコメンテーターとして活躍するかたわら、安室奈美恵の母親が娘・奈美恵の生い立ちを綴った「約束」(扶桑社刊)、赤塚不二夫氏の単行本の出版プロデュースなども手がける。青山学院大学法学部卒業後、男性週刊誌を経て、女性誌「微笑」(祥伝社/廃刊)、写真誌「Emma」(文藝春秋/廃刊)の専属スタッフを経て、フリーとして独立。週刊誌やスポーツ新聞などで幅広く活躍する。現在は『おはようコールABC』(朝日放送)、『今日感テレビ』(RKB毎日放送)などにコメンテーターとして出演。

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