『風立ちぬ』──宮崎駿の業と本質が凝縮された本作を受け、次の世代に課せられた使命

批評家・宇野常寛が主宰するインディーズ・カルチャー誌「PLANETS」とサイゾーによる、カルチャー批評対談──。

宮崎駿監督作品の直近4作。このラインナップから考えると、やはり新作はかなり毛色が違っている。

宇野常寛[批評家]×福嶋亮大[文芸評論家]

『崖の上のポニョ』以来5年ぶりとなる宮崎駿の新作アニメが公開された。公開2週で早くも累計動員220万人、興行収入28億円を突破と今夏最大のヒット作となりそうだ。「遺作」とも銘打たれた本作で、宮崎駿は何に挑んだのか──。

福嶋 『風立ちぬ』ですが、僕は良い作品だと思いました。ざっくりテーマを言うと、「良かれと思ってやったことが全部悪夢になる」ということだと思うんですよ。僕はこれが結構身につまされるところがあった。というのも、それってまさに日本の近現代史そのものなんですね。明治に入って文明開化したものの、アホな戦争に突撃して負けてしまった。原発でクリーンエネルギーの夢を見ていたら大事故になった。ツイッター民主主義の夢だって、今や炎上と吊し上げの悪夢に(笑)。でも、そういう理不尽な悪夢化にも別に取り乱さずに、主人公の堀越二郎はただ淡々としている。すべてが裏目に出てしまう呪いを受け入れて生きる日本的感覚を、うまくつかんでいると思いました。

宇野 うーん、僕は実はすごく期待して観に行ったんだけど、全然ノレなかったんですよ。この作品を見ると、宮崎駿にとって左翼的なものとか、エコ思想とか、民俗学的なものとか、全部作品を作るためのネタでしかなくて、その本質にはまったく関係ないことがよくわかってしまう。あるのは、メカへのフェティッシュというか技術萌えと、マチズモと深く結びついたナルシシズムですよね。そしてこの2つの関係だけでこの映画はできている。ストイックに余計なものをすべて削ぎ落としていて、「遺作」として作り上げた自己言及的な作品として観るととても洗練されていると思う。でも、逆に僕はこの映画を観て、自分はミーハーでお調子者で傲慢な宮崎駿が好きだったんだな、って思った。『魔女の宅急便』(89年)でうっかりバブル気分を肯定してしまうときのミーハーさとか、都会のお坊ちゃんが避暑地の農村に夢を見て『となりのトトロ』(88年)を作っちゃうような。

福嶋 確かに『風立ちぬ』はすごく綺麗に作ってあって、『千と千尋の神隠し』(01年)や『崖の上のポニョ』(08年)みたいなグロテスクさはないですよね。振り返ってみると、初期の宮崎駿は「風の作家」だった。重力を切り裂いてバーンと飛翔する爽快感のある映像を撮っていたんだけど、バブル崩壊前後の92年の『紅の豚』でそれは一段落して、そこからは「水の作家」になる。つまり、重力にとらわれたヌルヌルベタベタの世界に移行するわけです。

 それは大雑把にいえば、ヨーロッパ的なものと日本的なものの対立ですよね。麗しい夢はヨーロッパにあるんだけど、現実は悪夢のようにベタベタの日本文化を背負っているという、その分裂が宮崎駿の原動力になっていた。『風立ちぬ』はその両方をまとめたわけですね。枢軸国のドイツやイタリアの素晴らしい飛行機のように空を飛びたいんだけど、現実に日本はすごく貧しいし、関東大震災は起こるし、念願の飛行機を作っても戦争に利用されてしまう。そもそも、戦後日本アニメのルーツが戦時下の国策アニメにあるのだから、宮崎の飛行機アニメも富野由悠季や庵野秀明のロボットアニメも、最初からどっぷり呪われてるわけですよ。でも、そうした呪いや業、怨念を全部ひっくるめて一番美しい飛行機アニメにして弔おう、と。

 考えてみれば、日本人はときどき「弔い」の文学をやってきたわけです。夏目漱石の『こころ』は「明治の精神」を弔う話だし、村上春樹の『ノルウェイの森』は、直子という固有名が生きていた1968年頃を弔う話。『風立ちぬ』もその系譜にあるのではないか。要は、コンテンツというより芸能とか儀式に近い。だから、あまり近代人的な見方をしても仕方がないと思うんですね。

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