『企業メセナの理論と実践』(水曜社)
近年、言葉だけは一般的になった企業によるメセナ活動。不況の影響で企業経営に厳しい目が向けられる中で、なぜこうしたメセナは行われ続けるのか──?
2011年、岡山県に本社を置くバイオ関連企業「林原グループ」が会社更生法の適用を申請した。あまり消費者に馴染みのないこの企業だが、91年には企業メセナ協議会の主催する「企業メセナ大賞」も受賞するなど、40年以上にわたり、アートに対する支援活動に熱心に取り組む企業として知られていた。
こうした企業によるアートや文化活動などへの支援は「企業メセナ」と呼ばれる。広告宣伝とは異なり、「実利」を求めないとされるメセナ。しかし民間企業なら、利潤を追求することが株主などのステークホルダーから求められるはず。林原グループは、大阪の商社・長瀬産業を再建スポンサーに迎え、自社所有地の売却や有料駐車場などの資産整理を行ったが、メセナ活動の中心である「林原美術館」は存続させるという。
いったい、なぜ企業はこれほど瀕死の状態になろうとも、メセナ活動を続けるのだろうか?
時代とともに変化する企業メセナ
日本において、メセナという言葉が使われ始めたのは80~90年代。しかし、それ以前から100年余りにわたって、日本では企業によるメセナ活動が行われてきた。まずここでは、時代とともにその目的を変えてきた企業メセナの歴史を紐解いてみよう。
日本の企業メセナの先駆けといわれているのが17年に開設された、ホテルオークラの大倉喜八郎による「大倉集古館」。氏が収集した古美術・典籍類などのコレクションを展示する美術館だ。以降、倉敷絹織(現・クラレ)の大原孫三郎が収集したコレクションを展示した「大原美術館」や、劇団四季の活動拠点となった日本生命の「日生劇場」など、企業メセナは、美術館・ホールなどの箱物建設を中心に行われてきた。また、企業に限らず、実業家の個人的な支援でも、洋画家・岸田劉生は、毛織物で財を成した大阪の実業家・芝川照吉から、日本画の大家・横山大観は、山種美術館を設立した山崎種二の庇護を受けた。