SNS隆盛の昨今、「承認」や「リクエスト」なるメールを経て、我々はたやすくつながるようになった。だが、ちょっと待て。それってホントの友だちか? ネットワーク時代に問う、有厚無厚な人間関係――。
『Facebookバカ』(アスコム)
いつだったか、この連載の中のどこかで
「友だちは子どものためのものだ」
という意味のことを書いた。
このことは、逆方向から観察すれば、別の言葉で言い直すことができる。すなわち
「成熟とは友だちが要らなくなること」
なのである。
事実、大人になると、友だちは、多くの場面において、不要になる。あるいは、より実態に即した言い方をするなら、30歳を過ぎた人間にとって、友だちは、むしろ、厄介な存在になっている。
もっとも、
「何歳になっても友だちは友だちだ」
と主張する人もいるはずだ。たしかに、必ずしも友だちが必要でなくても、いないよりはいたほうが良いということはあるわけで、そういう意味で、友だちは、人が人であるために、持っていてしかるべきものではあるのかもしれない。
とはいえ、大人になった人間にとって、友だちに会うための時間を作ることが、年を追って困難になるという事情は、やはり動かしがたい。
大人の時間は有限だ。一方、友だちは流れない時間の中に住んでいる。ということは、大人は、事実上、友だちに会えなくなる。当然の展開だ。
ここにSNSが登場する。