止まらない公共事業と地方自治の可能性

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──かつて民主党政権下で大きな話題となった八ッ場ダムは、この7月に業者の選定が行われ、年内には本体工事が着工されるという。民主党政権下より「無駄な公共事業」との指摘がありながらも、計画を中止できない理由を、大規模公共事業といった問題に詳しい中央大学法学部教授の中澤秀雄氏を迎え、議論する。

[今月のゲスト]
中澤秀雄[中央大学法学部教授]

中澤氏の著書『住民投票運動とローカルレジーム』

神保 今回のテーマは、日本の公共事業について。民主党政権が掲げた「コンクリートから人へ」のスローガンの象徴的な事例として一度は中止と発表されながら、今また工事が再開している群馬県の「八ッ場ダム」を取り上げます。この事業は結局、民主党政権がストップすることができず、自民党政権になって工事が再開。年内に始まると見られている本体工事の入札が7月に行われることが発表されています。

 止めると言い切ったにもかかわらず止められなかったことへの批判は、当然あってしかるべきです。しかし、同時に「なぜ止まらないのか」も考えなければならない。止めるべきものを止められないのは原発にも共通する、日本が抱える重大な問題だと思うので、しっかり議論していきましょう。

宮台 僕は「原発をやめること」より「原発をやめられない社会をやめること」が大切だと言ってきました。日本は「やめられない社会」。東京裁判で、天皇と国民から戦争責任を免罪すべく罪をかぶって処刑されたA級戦犯らが「内心忸怩たる思いはあったが、今更やめられないと思った」という証言を残します。

 最近のTPPも同じで、内閣官房の官僚も「とんでもない内容らしい」ということがわかったものの「今更引き返せない」状態。ちなみに「とんでもない」というのは、7月末のTPP参加表明機会に先立ち、アメリカが日本に並行協議を要求、本来ならTPPでの交渉事項なのに、日本が事前に折れないとTPPに参加できない事態です。

神保 ゲストは、大規模公共事業や原発立地問題などに詳しい中央大学法学部教授の中澤秀雄さんです。現在、中澤さんの旧産炭地、つまりかつて石炭の炭鉱で賑わった町の再建に関するフィールドワークが、原発立地にも適用できるのではないかと期待を集めています。

 まずは、八ッ場ダム開発の経緯を振り返ってみましょう。そもそものきっかけは、1947年9月、関東や東北を中心に大きな被害をもたらした「カスリーン台風」でした。それを受けて52年に利根川改修計画が持ち上がり、ダム建設調査が始まったものの、強酸性河川水などが原因で計画は凍結。その後、67年に河川水中和事業の成功で計画が再開されました。

宮台 サンフランシスコ講和条約の発効が52年。本当に昔です。

神保 50年代当時の日本はとても貧しく、治水をしないと水害が甚大になるという事情がありました。また、60年代以降は高度経済成長時代を迎え、農業・工業で水需要が急増しました。少なくとも計画当初の段階では、ダム開発には一定の必要性があったと考えられています。

 地元は当初からダム計画に反対していましたが、86年に「八ッ場ダム建設に関する基本計画」ができ、92年には国・群馬県、長野原町と用地補償の協定が締結。04年に「八ッ場ダムをめぐる住民訴訟(1都5県)」があり、08年に「発電目的」を追加した第三回基本計画の変更などがありましたが、基本的にはここまでは建設を進める方向で事態は推移していました。

 ところが、09年に民主党政権ができて、ダム工事の中止を宣言。一度はそう宣言したものの、地元の反発にあい、11年に再開。その後政権交代があり、自公政権がダム事業を推進することになった。そして今年の3月、住民訴訟の二審で住民が敗訴、上告へ。5月に本体工事の入札の公告が行われた、というのがここまでの大まかな流れです。

 90年代後半から2000年代の前半にかけて私が現地を取材したときは、まだ反対派の方々が戦っておられる状態でした。しかし、今年の6月11日にあらためて現地に取材に行ったところ、諦めムードが強かった。八ッ場ダムの水没予定地には温泉旅館街があるのですが、その多くが、ダムができるかどうかが決まらないため、改築ができず老朽化して困っているという話でした。ダムができることになると移転しなければならないので、それがはっきりするまでは、改築したり新築したりすることができないのです。その状態で60年が経過してしまった。私の印象としては、「どのみち止まらないなら、いっそのこと早くしてくれ」という意見に収斂されていったように思いました。

中澤 ほかの大規模な公共事業についても言えることですが、みんな疲れてしまったということです。長期にわたり、国策が目の前に常にぶら下がっている状態で、ダムにしても原子力にしても、国の意思が現場にも露骨に表れる。こんな状態が何世代にもわたって続けば、「異論を唱えても仕方がない」という諦めモードになってしまうのは、人として当然のことだと思います。国は、政治学者のトマス・ホッブズが海の怪物"リヴァイアサン"に喩えるほど強大な力を持っており、住民はその決定から逃げ出すことができない。

宮台 日本では、国家の意思が住民や企業の前提になりやすい。理由は、地域が自立的経済圏をなさず、国策に依存するからです。すると、法実務でいう附従契約の問題が生じます。形としては自由契約でも、片側の優越的地位を背景とするので、自由契約として認められないものを言います。

 そこでは複数の選択肢があるか否かが重要です。交通がJRしかない僻地で、JRが運賃を10倍にすると通告、住民が反対したとします。JRが「乗車券購入は自由意思だ、イヤならば乗るな」と答えても法廷は認めない。住民に選択肢がなく、JRの優越的地位に附従した契約、つまり事実上の強制と見なされるからです。

 霞ヶ関は実は附従契約を企図します。事前の調査費を地域にバラまいてカエサル的分断統治に持ち込み、同時に、地域の国家依存度を高めて国の提案を拒絶できないように追い込む。特に未来の選択肢への想像力がポイント。国への依存しか選択肢がないというふうに未来を想像させることで、国は附従契約を貫徹します。

神保 戦後の高度経済成長期の日本なら、それもある程度はわかります。しかし、今でもそれが続いているのはなぜなのでしょうか。

中澤 本当は、違う方向に変わろうとしたはずです。90年代の地方分権改革は、つまりリヴァイアサンによる画一性が地方の工夫や自治の能力を奪ってきたとして、それをもう一度復活させようという取り組みだった。額面通りに受け取るならば、もはやリヴァイアサンの時代ではなく、それぞれの地域が自分たちで決め、国は必要なことを最低限やる。つまり、まず住民がいて、自分たちの地域のことを一生懸命に考え、その次に国が来る、という構造に変わらなければいけない、ということ。それが、20世紀末からの行政改革のテーマだったはずなんです。しかし、それがいつの間にかフェードアウトしてしまった。

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