【リチャード・ノースコット】『自殺した岡田有希子以降“アイドルスター”は今も不在!』

──いまだにアイドル界ではタブー視されている岡田由希子。彼女の自殺にショックを受け、日本に移り住み、サンミュージックに入った外国人から見たアイドル歌謡とは?

リチャード・ノースコット[元サンミュージック社員]
1966年、オーストラリア生まれ。86年、岡田有希子の自殺にショックを受け来日。89年、サンミュージックに入社。酒井法子などの新人プロジェクトやグッズや番組制作を手伝う。90年、独立。

 私が日本のアイドルソングにハマったのは、オーストラリアにいた10代の頃に、日本人留学生から教えてもらったのがきっかけです。80年代前半から半ばですね。それまで、ただうるさいだけのロックしか周囲になかったから、フルオーケストラの楽曲で作られたアイドルソングには衝撃を受けました。一番最初のショックは、松田聖子の「ピンクのモーツァルト」が収録されていたアルバム『SEIKO・TOWN』。音源の質、全体の完成度ともに非常にクオリティ高く感じたんです。

 岡田有希子ならシングル「哀しい予感」が好きでしたね。『十月の人魚』【1】というアルバムに収録されています。その時の趣味は、読めない漢字のライナーノートを写しながら名前を暗記すること。そうして松任谷正隆が編曲者として『Seiko Town』「哀しい予感」どちらも参加していることを知り、どんどん日本の歌謡曲にのめりこんでいったんです。

 あと、あんまり売れなかったけど中森明菜のアルバム『不思議』【2】が好きですね。アイドルのアルバムとしては間違いなくタブー破り。ほとんど明菜の歌声はなくて、当時イギリスの最先端だったアンチポップなCocteau Twinsと同じ路線のような音楽で……最初に買って流した時は「レコードが壊れてるんじゃないのか!?」と思ったくらい。自分のキャラを壊してでもやりたいことをやっている。アイドルというよりアーティストっぽくなっているのがすごくショックでした。せっかくだから、このまま海外に売り出せばいいのに、と思いましたね。ニューミュージックと、それらを支えていた80年代前半のアイドル音楽は、海外から見てひとつの大きなブランドとなっても、おかしくなかったかもしれません。

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