【市川哲史】『音楽業界の常識を変えたYOSHIKIとそれをもひっくり返したゴールデンボンバー』

――80年代より勃興し、今再びゴールデンボンバーという新星の登場で注目をされるヴィジュアル系という世界。そのターニングポイントを作ったのは、やはりあの人だった? 当時を知る市川哲史氏が分析する――。

市川哲史[音楽評論家]
1961年、岡山県生まれ。音楽評論家。ロッキングオン社の雑誌を中心に、洋邦問わず評論を行う。ビジュアル系に関する著書に、『私が「ヴィジュアル系」だった頃。』(05年)『さよなら「ヴィジュアル系」』(08年・共に竹書房)など。

市川氏の著書『さよなら「ヴィジュアル系」』

 V系のタブー破りといえば、まず思いつくのは、BUCK-TICKの今井寿がLSDで捕まったこと(苦笑)【註:89年4月。ツアー中だった】。それまで芸能人やミュージシャンが薬で逮捕といえば大麻や覚醒剤が相場だったのが、LSDはイギリスのロックミュージシャン御用達みたいな、カッコいいイメージがまずあったでしょ。しかもその逮捕報道で全国紙になんとフルメイクのアーティスト写真が載ったものだから、逆に地方のバンド少年たちの憧れを一気に集めちゃった。ある意味タブーを破ってるよねぇ。本人がまったく意図してないところがまた面白いんだけども(笑)。

 あとはやっぱりX(JAPAN)のYOSHIKIは外せない。彼は本当にレコードビジネスを何も知らないところからスタートしているので、「レコードの出し方がわからないから、プレス工場に直接『俺たちのレコードを作ってくれ』と頼みに行った」みたいな話がたくさんあって。業界の常識や慣習が、そもそもわからなかったんだよね。だから当時はミュージシャンがやるなんて考えられなかった印税の交渉も、自らやりだした。自分でインディーズレーベルを持っていたし、レコード会社のほうも、いち企業人として付き合わなくてはならなくなったわけです。しかもメチャクチャ売れてるから「何やっても許される」みたいな空気があった。レコーディング費用や広告費も使い放題。ロックバンドが積極的にテレビに出て、雑誌や街頭にガンガン広告を出して……みたいなことをやったのは、Xが最初だと思うよ。それが後のビーイングやTKブームにもつながったんじゃないのかな。直接の影響はなかったとしても、アーティストのビジネス的な地位を向上させたという意味では、彼らが最初にタブーを破ったんだから。

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2024.11.25 UP DATE

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