――数々の芸能スクープをモノにしてきた芸能評論家・二田一比古が、芸能ゴシップの“今昔物語”を語り尽くす!
『AKB48総選挙公式ガイドブック2013』(講談社MOOK)
今年も"AKB48"(以下、AKB)の総選挙は盛大な盛り上がりを見せた。メディア不況のご時世、「ゴールデンタイムに生放送で高視聴率をとるのですから、たいしたものです」とテレビ関係者も驚嘆するほどだ。
「会いに行けるアイドル」のコンセプトのもと、新しい形のアイドルを作った秋元康氏の手腕は素直に評価すべきだろうが、作られたブームは必ず消えていく宿命にある。”おニャン子”、”モーニング娘。”と作られたブームは消えていったように――。
本来、芸能人とは芝居や歌の訓練を受け、秀でた者だけである。業界の中で運や実力を発揮し、上へとのし上がっていく。プロを目指す高校球児にも似ている。
かつては地方のキャバレー回りをしてきた演歌歌手、アルバイトをしながら芝居を勉強してきた劇団員、師匠に付いて学んだお笑い芸人……。彼らの苦労話は伝説のように伝えられてきていることは周知だろう。が、アイドルは根本的に出発点が違うのだ。
芸能界には「企画商品」と呼ばれる分野がある。芸能人としての実力の前に、集める側の企画の意図に合うかどうかが優先されるという“商品”だ。芸は二の次。まず企画ありきで集められ、その後に事務所が企画にそったレッスンを受けさせ、世に送り出すシステムである。
一世を風靡し、惜しまれながら引退した歌手、山口百恵さんも元は企画としてホリプロが獲得したものだった。ホリプロ創業者で現在、事務所の最高顧問の堀威夫氏からこんな話を聞いた。
「当時、ホリプロには森昌子と一級上の石川さゆりが所属していて、もうひとり同じ歳ぐらいの子を入れて、”ホリプロ三人娘”を作る企画があり、当時のタレントスカウト番組『スター誕生!』(日本テレビ)で百恵を取った。本当は桜田淳子を取りたかったが、外れたので百恵になった。結果論だけど、三人娘の企画は挫折したが、百恵はビッグアイドルとして売れた」