チ◯コとマ◯コをアートへ昇華!? 奥深き性器写真集の傑作たち

──レスリー・キーが男性器を撮った写真集を販売したとして逮捕され、話題となった。だが、写真表現が生まれてから何人もの実力作家たちが性器をカメラのフレームに収め、そんなカットで写真集を編んできた。その中でも、とりわけ傑作というべきものがこれらである!

[税関に没収された“わいせつ図画”!?]
【1】『Mapplethorpe』
ロバート・メイプルソープ/アップリンク/1994年

 先日、ヤフーニュースのトップでも報じられた写真家レスリー・キーのわいせつ図画頒布事件(詳細は特集【『加納典明』猥褻写真事件に反論。】)。正直、彼の写真を評価する気は毛頭ないし、その後ツイッターなどを通じて寄せられたという浜崎あゆみら芸能人のうすら寒いコメントに、すっかりどうでもいい気分にさせられたのは私だけではないだろう。だが、それでも冷静に考えれば、成人モデルの了承を得て撮影した男性ヌードを、自費出版により写真集化していたというレスリー・キーが、刑法175条「わいせつ物頒布等の罪」の単純適用のもとにあっけなく逮捕されてしまうこの国の写真表現の扱い方には、やはり疑問を呈さずにはいられないのである。

 個人的には、まったくの正解が存在せず、いわゆるアートよりもはるかに素人が首を突っ込みやすい写真表現の分野において、一枚の写真を芸術とするか否かを論じること自体がナンセンスだとは思う。しかし、自分の体にもくっついているはずの性器が写り込んだ作品を、それが撮られた意味や背景について考えることもなく、ただただ自分の目から遠ざけておくことが正義、高潔だと勘違いしているお偉いさんたちが現実にいるのだとすれば、過去に発表された「性器・裸体」をとらえたマスターピースたちに、その芸術的価値を認める解釈がいくらでも存在していることを、改めて確認しておくことも必要なのかもしれない。

 そんなわけで、これから「性器・裸体写真」の名作たちを振り返っていくわけだが、まず一番に思い出すべきは、今回のレスリー事件でも一部で引き合いに出されていたロバート・メイプルソープ【1】になるだろうか。メイプルソープが活躍したのは、70~80年代にかけてのNYブルックリン。幼少期からフリークスに憧れていたという彼は、その後「コロンビア・スクワイア」という青少年団体に所属する中でゆっくりと男性の肉体への興味を強め、同時に自分がゲイであることを認識していったのだという。おそらくはその目覚めがゆるやかなものであったこと、また彼が自らの性癖を簡単には受け入れなかったという経緯から、特にその初期作品においては、自分の欲望を作品に投影することよりも、完璧なるカタチ(身体)に潜むわずかな違和感や狂気を、カメラによって冷静に発見していくようなスタイルが目立つ作家だ。やがてアメリカの大きな社会問題となった性解放運動やゲイの人権運動に後押しされ、その美意識を遺憾なく発揮するようになるメイプルソープだが、活動初期に確立されたその冷静なる観察者としての眼は、キャリアの最後まで貫かれているといえるだろう。

[ナニを切除したフリークス]
【2】『Diane Arbus』
ダイアン・アーバス/Aperture/1972年

 また一方で、メイプルソープが幼少期に抱いたフリークスへの興味を頑なに追求し続けた先人もいる。映画『シャイニング』にも引用された「双子の少女」の写真を撮ったダイアン・アーバス【2】だ。裕福なユダヤ人家庭に育ち、10代にして華やかなファッション写真の世界に足を踏み入れたアーバスは、その不足のない人生で恵まれた人間としての役割を演じる自分を疑い続けるうちに、やがて彼女の奥底にある闇を生まれながらにして外見に備えてしまった者たちに傾倒するようになる。そんなアーバスは、50年代後半から、時には性器を露出させた状態で、フリークスたちのありのままの姿をカメラに収め続けたことにより、たびたび「社会的弱者からの搾取である」との批判を受けてきた。だが、彼女が非情なまでの愛を注ぎながらフリークスたちにカメラを向けていた一方で、それを上回る数の健常者をその虚栄心やグロテスクな欲望を暴くように撮影していることからもわかるように、彼女は搾取どころか、むしろフリークスたちのむき出しの姿にこそ自分の闇を溶かし、そのいびつなカタチに"救い"すら見いだしていたと言っても過言ではないのだ。

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