『HERO』『海猿』シリーズ(共にフジテレビ系)といった、エンターテインメント色の強い作品で数々のヒット作を生み出してきた脚本家・福田靖氏。そんな彼が、2010年の大河ドラマ『龍馬伝』を手がけることになり、NHKとしては異色の起用として話題を集めた。民放を主戦場としてきた彼にとって、大河ドラマというのはどのような存在だったのだろうか?
『龍馬伝 完結編』(日本放送出版協会)
──早速ですが、『龍馬伝』の脚本の依頼が来た経緯から教えてください。
福田靖(以下、福田) お話をいただいたのは07年でしたね。僕はそれまで、純粋なNHK製作の作品を1本も手がけたことがなくて。ただ、フジテレビのドラマでよく仕事をしていた共同テレビが製作した後藤真希さん主演の『R・P・G』(03年)や、国分太一さん主演の『トキオ 父への伝言』(04年/共にNHK)を書いていた縁で、NHKのスタッフさんが僕の名前を挙げてくれたようなんです。
──では、純粋なNHK製作ドラマは『龍馬伝』が初めてだったんですか?
福田 いえ、NHK製作のドラマを1本もやらずにいきなり大河の脚本を書くというのは前例がなかったようで、まずは08年の『上海タイフーン』を書くことになったんです。この作品が、純粋なNHK製作ドラマとしては初めてのお仕事になりました。
──なるほど。まずはNHKドラマをわかってから、満を持して坂本龍馬を書いてくれ、と。
福田 それが、「大河ドラマをお願いします。で、誰を書きたいですか?」から始まったんですよ(笑)。つまり、僕にオファーをいただいた段階では、どの人物を描くかも決まっていなかったんです。
──え! 作品のテーマから脚本家が決めるんですか!?
福田 そうなんですよ!
──そこから、なぜ龍馬に?
福田 一時「平清盛」という案も出ていたんです。ところが、勉強してみるとこれが難しくて、無理だろうなぁって……。それで、どうしようかと思っていたところに、演出の大友啓史さんとプロデューサーの鈴木圭さんが「龍馬をやりましょうよ」と提案してくれたんです。実は当初、NHKの上層部からは「別枠で『坂の上の雲』(09~11年)をやることが決まっているので、幕末の話はナシ」と言われていたんですね。まして、坂本龍馬は『竜馬がゆく』(68年)をすでに大河でやっていたので、難しいと思ってたんですよ。そこを、大友さんと鈴木さんが上層部に掛け合ってくれて、これまでの龍馬とはまったく違う龍馬だったらOKということになったんです。
──そこで、福山雅治さんが龍馬に抜擢されたというわけですか。
福田 これがまた、ひと波乱ありまして。最初は主役を誰にするかも、なかなか決まらなかったんです。たまたま僕が『ガリレオ』(07年/フジテレビ系)で福山さんとお仕事していたので、「福山さんはどうですか?」と提案したら、「いいですね!」と通ってしまったんですけど……NHK側から「我々は(所属事務所の)アミューズさんとパイプがないので、福田さん、福山さんに交渉してもらえますか?」って言われて。
──ええ!? 主演の交渉も脚本家がやるんですか!?
福田 僕も初めてでしたよ(笑)。それで、『ガリレオ』の打ち上げの時にマネージャーさんをこっそり呼び出して、「福山さん、次の大河ドラマの主演どうですか?」って聞いたんです。