東日本大震災「天罰」発言は至極当然!? 石原慎太郎の宗教・信仰がわかる書

──13年にわたって都知事の職を務める政治家・石原慎太郎。広く知られてはいないが、彼は、辯天宗・霊友会・世界救世教といった新興宗教の信者だ。彼が宗教にかかわる理由は、集票目的なのか、ガチの信心なのか? これまで正面きっては論じられてこなかった、石原と、その血族と宗教の関係を、気鋭の宗教社会学者が秘蔵資料と共に解き明かす。

「辯天宗グラフ」03年号より、辯天宗立宗50周年記念講演時に、同宗宗祖に祈りを捧げる石原慎太郎。なかなか見ることのできない、貴重な姿である。

 一般に日本では、政治家やタレントといった著名人が、自身の信仰宗教について公言するのはタブー視されている。信仰の自由はあれど、為政者と宗教の結びつきに対して、世間は良い顔をしない。しかし、あまり知られていないが、そうした感覚を打ち破り、自身の信仰や宗教観を顕にする寄稿や著書を多数持つ政治家がいる。元国会議員にして現東京都知事の石原慎太郎その人だ。

 下の写真は、高校野球の強豪・智辯学園和歌山高校で有名な新宗教教団・辯天宗本部で、正座で仏に祈りを捧げている慎太郎の姿を写したものである(広報誌「辯天宗グラフ」2003年号)。02年11月5日の辯天宗立宗50年イベントで、慎太郎は3000人を前に講演し「人間の知恵とか意識が及ばない世界」「深遠な真理との出会い」を語り、「(辯天宗の宗祖は)仏教を再生し、活力を与えた」「人間の責任、可能性を教えてくださった。それを自分だけでなく、周りの人に伝えるということが宗祖さまへの報恩です」と語った。

 多くの人は、政治家である慎太郎のこうした行為を、選挙の票目当てと思うだろう。中曽根康弘元首相との往復書簡集『永遠なれ、日本』で中曽根の言葉に同調して慎太郎が発した、「じつは私も自分が日ごろ語っていることを『石原教』といっています。信者は私しかいませんし、教祖も私です。〈中略〉自分の存在についての強固な観念の基軸を持っていたら、その人間は強いと思います」という発言こそ、一般的には「石原慎太郎らしい」と思われるはずだ。だがその実、彼は宗教的家系に育った、稀代の宗教マニアである。

 石原慎太郎は、公認会計士を目指して一橋大学に進学したが、会計学が性に合わず社会心理学専攻に変更した経歴を持つ。そして1965年から、社会心理学の視点から産経新聞(当時サンケイ新聞)に、新宗教(新興宗教)に関する大型連載を行い、それらをまとめた『巷の神々』という書を出版している。日本の主な新宗教団体をフィールドワークし、教義と照らし合わせて各教団の規模拡大理由などを分析した大作である。『巷の神々』で慎太郎は、「私自身が新興宗教に関心を持ったのは、身の周りに於けるある種の実体験もあったが、大学で学んだ心理学の中で、最も現代的な分野として殆ど未踏のまま残されている、日常生活に於ける神秘現象の心理学的解決からであって、胸さわぎ、予感、或いは一種の霊現象と言うものに興味を抱く内、言わばそれらを信仰の対象としたとも言える、新興宗教の問題に行き当った」と述べている。

「身の周りに於けるある種の実体験」――彼の宗教的バックボーンを理解するには、父・母・弟、そして彼自身の息子たちといった、石原家の宗教観からたどる必要がある。日本の有名一族である石原家は、実に宗教的なるものと縁が深い。以降の本稿では、書物に記された石原家と宗教の関係をたどり、同家を宗教社会学の視点から考察していこう。

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