『仮面ライダー×スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦』──夢の共演映画から考える、特撮モノの歴史と未来

批評家・宇野常寛が主宰するインディーズ・カルチャー誌「PLANETS」とサイゾーによる、カルチャー批評対談──。

宇野常寛[批評家]×切通理作[ライター、評論家]

上/物議を醸しつつ、平成ライダー10年
目という節目らしい歴史的作品となった
『仮面ライダーディケイド』。 下/『ゴー
カイジャー』は、正月には『VS宇宙刑事
ギャバン』も公開。

 テレビ朝日毎週日曜7時半~8時のスーパー戦隊シリーズと、同じく8時~8時半の仮面ライダーシリーズ。共に40年余りにわたって続いてきた、東映が手がける2つの特撮ドラマが、今春劇場で大激突!ある種の”お祭り映画”である本作から、2つの特撮ヒーローを見比べながら、日本の特撮の現在地点を考える。

宇野 今回の『仮面ライダー×スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦』は、その名の通り仮面ライダーと戦隊モノがタッグを組んだ映画です。キーとなるのは、それぞれ『仮面ライダーディケイド』【1】と『海賊戦隊ゴーカイジャー』【2】という、過去数十年に遡るデータベースを活用し、歴史を総ざらいする記念作品が中心になっている点。前提として、特撮系ヒーローは近年、40年以上のデータベースをいかに活用していくかが至上命題になっていたことがあると思います。

切通 遡ると、マンガですが2001年から『仮面ライダーSPIRITS The Legend of Masked Riders』(講談社/以下『ライスピ』)が始まりました。当初から歴代の昭和ライダーをひとりずつ主人公にして物語を展開していた。テレビで当時進行していた『仮面ライダークウガ』(00年)をはじめとする当時の平成ライダーが「完全新生」というスタンスだった分、昭和時代からのファンの需要をマンガで担ったんです。『ウルトラマンメビウス』(06年)【3】が始まった時、「これは『ライスピ』のウルトラ版だ」と思いました。テレビシリーズ自体で昭和のキャラクターを取り込むということをやった。当時平成ライダーはまだそこに手を付けてはいなかったんです。

宇野 僕は、『ライスピ』も『メビウス』 も、始まった時はうれしかったけれど、どんどんオールド特撮ファンの思い出をいかに温め直すか、という方向にばかり傾いて興味をなくしていきました。その一方で、毎年がらりと内容を変えて、というかヒーロー番組の概念自体を変えてしまうくらい次々と新機軸を打ち出していった平成仮面ライダーシリーズに僕は強く惹かれたし、商業的にも成功した。そんな平成仮面ライダーシリーズが、10年目の節目に『仮面ライダーディケイド』(09)でついに過去作に手を出した。

切通 『ディケイド』は最初、『クウガ』から『仮面ライダーキバ』(08年)までの歴代平成ライダーが登場する設定で、キャラクターだけでなくそれぞれの作品の世界観を抽出し、そこを主人公のディケイドが往還していく。平成ライダーって、お話としては完結してないシリーズが多かったから『ディケイド』を通して総括する意味合いも持たせているように思えました。

宇野 『ディケイド』は、むしろ特撮ファンのノスタルジーに対して批判的でしたね。それは『仮面ライダーアギト』(01年)などを手がけた東映プロデューサー・白倉伸一郎さんの揺るぎないスタンスだと思う。以前の劇場版に関しても、ディケイドが悪者になってカブトなど歴代のライダーを冒頭から殺しまくっている。過去作を見ていなくても楽しめる開かれた作品を、という思いと、『メビウス』や『ライスピ』のように思い出に閉じようとする流れに対する明確な”悪意”があったと思います。

切通 ディケイド自身が「世界の破壊者」ですからね。それぞれの世界を接続させてしまうことの暴力性自体がテーマになっている。今度の『スーパーヒーロー大戦』も同じです。その構造は実は『アギト』からあって、白倉プロデューサーの作品は、勧善懲悪ではなく味方と敵どちらの出自にも同じ根があるように作られている。彼の作品のライダーたちは、お互い反目し合う局面が必ず描かれる。

宇野 13人の仮面ライダーがそれぞれの”正義”を掲げて殺し合う02年の『仮面ライダー龍騎』が象徴的ですね。放映当時から賛否両論を呼んで、オールドファンは怒り狂ったけれど、商業的にも成功しているし、フォロアーも多く影響力の高い作品になっています。

切通 『ディケイド』が興味深かったのは、「プロが作っている二次創作」という部分をあえて表に出したところだと思うんです。たとえ公式作品でも、元の作品から時間が経てばそれは再解釈でしかない。『ディケイド』は元の世界観を意識はしているけれども、微妙にズレた世界を差し出すことで、その「ズレ」に批評性を見出す面白さがあった。ただ後半、昭和ライダーも出てきだしたあたりからは、単に拡散してしまった感も受けます。

宇野 そう、『ディケイド』は展開していく中で、仮面ライダーのデータベースを用いたイベントとしての側面が肥大して、はっきり言ってしまえば物語を語れなくなり、劇映画としての体裁すら維持できなくなってしまった。

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