──井沢元彦の『逆説の日本史』シリーズや、竹田恒泰の『怨霊になった天皇』など、古代から延々と連なる皇室の歴史の中で、天皇が怨霊になったという説を唱えた本が静かに売れているという。古代史がブームとなる中で、これらの本が語る"天皇の怨霊"とは一体何か──?
崇徳天皇(1119年~1164年)。在位期間は、1123年~1142年。鳥羽天皇の皇子として生まれ、和歌などをたしなんだという。
1961年9月21日午前0時頃、香川県坂出市の小学校から火の手が上がり、間もなく校舎が全焼した。その日は近くの白峯御陵で、崇徳天皇の800年式年祭が行われる予定だったという。この火災を崇徳天皇の怨霊の仕業と書いたのが『怨霊になった天皇』【1】だ。旧皇族竹田宮家の血筋にあたる竹田恒泰氏が書いた同書によれば、崇徳天皇の式年祭(死後100年ごとなど、決められた期間ごとに行われる神道の儀式)が行われた年の前後に、日本は国家的な動乱に見舞われてきており、そのたびに天皇家では崇徳天皇の御霊を祀る儀式をさまざまな形で行ってきたという。
『怨霊になった~』に掲載されている具体例をざっと列挙すると、まず死後20年祭に壇ノ浦の戦いで源平の争いが終わり、鎌倉幕府が成立。100年祭は、中国の元が、日本に国交樹立を求めてきており、これが後の元寇につながるという。その後、200年祭は南北朝の動乱。300年祭は、応仁の乱。400年祭では、室町幕府の滅亡。500年祭には、明暦の大火と禁裏御所炎上。600年祭には、明和事件が起き、尊王論者が弾圧された。700年祭の頃には明治維新が起こり、最後は800年祭の時に、冒頭の小学校の火事となり、現代に至るという。